オイスカ関西支部も兼務します
吉田です。4月1日付で関西支部事務局長も兼務となり、東京・宮城・大阪の3点の往来を始めました。大阪マラソンで通うたびに、いつかこうなるのでは?という思いもありました。
おかげさまで、2014年以降大阪マラソン寄付先団体に選んでいただき続け、この年から名取での公募ボランティア受け入れも本格化。振り返るとボランティア累計約12,000人の2割近くが関西圏からではないかと。少しづつ、関西とのご縁を深めてきました。
1994年にオイスカで働き始め、翌年1月17日に阪神・淡路大震災。1週間経っても動かなかったことで父親に怒鳴られたのちボランティア派遣を職場に起案し、関西センターを前線基地とした、神戸市長田区5ヵ所での炊き出し・風呂焚き・食料配布などの運営後方支援を担当しました。いま、また大阪に関わることになり、原点に返った気もします。「オイスカは緊急支援の専門団体ではないから、3ヵ月間限定」と最初から決めて、資金集め・食料品集め・ボランティア募集・管理の仕事をしました。関西から私と同年齢ぐらいの人が多く来るのは、阪神大震災の経験があるからではないかと何となく思います。
支部会長も交代しました。8年間支部会長を務めていただき、会社としても海岸林再生プロジェクトへの継続寄付をして下さる包装業のネクスタ㈱(大阪市)の岡崎昌三会長から、西日本旅客鉄道労働組合(JR西労組)の中央執行委員長の上村良成さんです。上村さんは東日本大震災の2011年当時、上部団体の産別労組「JR連合」の企画部長として、海岸林への支援を決めて下さりました。JR連合として何度もボランティアに来てくれていて、身近な存在でした。草刈りしながら「大学では何を?」なんて話になり、「軟式テニスを」。「え?・・・」練習試合を何度もした間柄だったことがわかりました。「どう考えても直接対決もしたな・・・30年前」って話になり。
2021年10月のオイスカ創立60周年行事のあと、黒田事務局長(事務局長24年)から退任の申し出第一報を私が聞きました。黒田さんは私が新人の時、東京本部職員でした。まず事務局長探しがまず先決でしたが後任を探すことはできず、2022年夏頃、腹をくくって私が志願し、秋に上村会長、畝川寛副会長(安治川鉄工㈱顧問、元中国電力顧問、元オイスカ顧問)にそれぞれ面会し、思い切って会長・副会長をお願いしました。(正確に言うと畝川さんには当初「顧問」と打診した)上村会長に相談したときはなんとなく直感があったのか、JR西労組事務所のすぐ目の前の「芝田」交差点から電話して、思い切って立ち寄らせていただきました。
驚いたのは二人とも「断る理由がない」と即決、簡潔なお返事。まさかの一言に驚きました。さらに長く深いお付き合いをさせていただくことができ、なんと表現して良いか・・・ただただご縁をありがたく思いました。
関西には関西のやることがありますし、「海岸林はもちろん東日本大震災バナシは、大阪に限らずもう通用しない」と自覚しています。今回の初出張でも早速アウエーの洗礼を受けました。ですが、たくさんとは言いませんが上村会長、畝川副会長(安治川鉄工㈱顧問)をはじめ、信頼してもらえている人たちもそれなりにいます。
私にとって昔から「アドバイザー」の畝川副会長からは、「最初が肝心」と言われました。「オイスカでいちばん小さな会員75件の支部ですが、焦らず、急がず、肝を据えて大阪の仕事に臨みたいと思います。次回は5月末から6月、支援者訪問、事務所整備、秋のトークイベント準備に行きます。
関西支部HP(工事中)も少なくとも月1回は更新します。https://oisca.org/kansai/