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2021年11月15日( カテゴリー: 現場レポート )

名取市海岸林再生プロジェクト職員研修に参加して 四国支部 崔 榮晋
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この度、10月22日~25日まで職員研修として「名取市海岸林再生プロジェクト」の現場に行ってきました。
2011.3.11.
仁川空港に降りて、バスで移動中でした。ハリウッド映画の予告編のような映像に自分の目を疑いながら釘付けになっていました。仙台空港の飛行機が津波で流れる映像でした。瞬間、日本にいる家族が心配で電話とメールを送ったが、電話もつながらないしメールの返事もありませんでした。これは仙台だけではなく日本全体が大変だと気づかされました。2泊3日間の長い日程を終えて香川に戻ってその深刻さに更に驚いた記憶が今も鮮明です。
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今回が東北を訪ねるのは2回目。初めて訪ねたのは、2012年3月震災1年後でした。周りから集めた沢山の支援物資とうどんの炊き出しに行く予定でしたが、受け入れ先が見当たらず直に現地に行くことにしました。当時、長男が小3でしたので、大川小学校に案内された時には正直複雑な心境でした。仮設住宅の住民との会話では想像もしたことのないような話を聞かされました。それから10年、2回目の訪問はその信じがたい映像の現場である仙台空港に松山から飛行機で降り立ちました。夕方の遅い時間でしたので空からは何も見えませんでしたが、空港ターミナルの壁にある津波の高さの表示で、その威力が伝わってきました。
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高速道路の横を通るとき、“ここが第2の堤防の役割をしてガレキと一緒に沢山の遺体がここで見つかりました”と吉田部長から説明がありました。ここに来る前に予習として「松がつなぐあした」(震災10年海岸林再生の記録、小林省太著)を読んできましたが、現場ではもっと凄いことが分かりました。
なぜ、海岸林は必要なのか。どうして、黒松でなければならないのか。倒れていない松の木は何の違いがあったのか。海岸林はここに住んでいる人にはどのような存在なのか。出来るだけ住民の立場から理解してみようと思いました。“生活の基盤である農業には欠かせないのが海岸林だよ。海岸林が幅200mもあれば、風や塩害、霧などの被害を受けずに野菜を育てられるのはもちろん、海岸林の後ろの何十㎞までもその恩恵は計り知れないものだよ!” 昔からここには当たり前に松林があり、時代によってさまざまな恩恵を受けつつもその役割の大切さに気付いてないのかもしれません。
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「100ha、10年、10億円」
民間NGO団体のオイスカ。私自身オイスカに関わった時間が短いのですが、正直私でも震災直後に聞いたら信じることは難しかったと思います。結果的に今までのオイスカの海外での活動の経験やノウハウを林野庁や行政も認め、地元住民たちにも認められたことは総合的なマスタープランとぶれない推進力と中心人物が居たからではないかと思います。
名取市海岸林再生プロジェクトに参加して、一番「感動」したのは人の心の繋がりを感じたことです。すべての財源は心のこもった募金が集まり、ボランティアの手と汗を借りて手入れや調査、下草刈り、水路作りなどきつい作業の後のやりがいと満面の笑顔と感動は、自分に問う「なぜ」に充分な答えになりました。ボランティア活動に参加するあたりまえと、ここに黒松がある当り前を思いながら仙台空港の滑走路を飛び立ちました。
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【感謝】
UAゼンセンの17名の皆さんとご一緒させていただきありがとうございました。
香川県立高松北高校の27名の生徒の皆さん、24日のボランティア活動ありがとうございました。
地元の大学生やボランティアの三浦さん、佐々木さん、畑君
大槻さん、齋藤ご夫妻、東京から三好さん、小宮君ありがとうございました。
そして、本部並びにスタッフの皆さんありがとうございました。
来年はもっと大勢の皆さんと一緒にボランティアに行きます。

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