こんにちは 鈴木です。
再生の会の石碑の除幕式についてのつづきブログです。
この日、印象に残ったのがもうひとつ
石碑を作った丹野石材さんのご挨拶
私は普段は墓石をつくることがほとんどです。
今回、このような石碑建立に石屋として携わらせていただいたことに本当に感謝しています。
石碑の向きひとつとっても、津波が来た時に波を受け流すことができる向きであること、勉強になりました。
実は私の実家は宮城県の野蒜(のびる)というところ。ご存じのように津波被害の大きかったところです。私の実家は跡形もなく流されてしまいました。
昭和53年の宮城県沖地震が発生した2か月後に生まれた私は、母から「地震・津波」と言われ続けて育ちました。
この石碑の文字がとても多いのですが、とても大切なことが書いてあり、とても省くことはできず、削ってくださいとはとても言うことができませんでした。
と、石屋として、この仕事に携わることができた喜びをストレートに表現されていて、いつまでも心に残るご挨拶でした。
IMG_5829
その後、少しお話する機会があり、こんなこともおっしゃってました。
「復興」という言葉がよくつかわれます。
被災前よりさらに良くするという意味で「復旧」ではなく「復興」なのですが、
私はこの言葉に非常に違和感を感じています。
この海岸林の現場では、「復興」ではなく「再生」という言葉を使っており、
とても通じるものを感じました。

式の終了後、ミヤテレの取材を受けていました。

式の終了後、ミヤテレの取材を受けていました。


聞くと、除幕式につかった白い布、リボンなどは丹野さんのお母さまがご用意くださったそうです。
ブルーシートで覆われているものだと思ってましたが、セレモニー用にリボンまでかけてくださってました

ブルーシートで覆われているものだと思ってましたが、セレモニー用にリボンまでかけてくださってました


本当にいい方々に恵まれていると、ありがたく思います。

2021年7月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  
月別アーカイブ

ページトップへ