再生の会が建立した石碑 その①

2021年7月23日( カテゴリー: 現場レポート )

こんにちは 鈴木です。
夏到来!! 暑いですね
なんとなんと、21日に1年4か月ぶりに名取に行ってきました。
ボランティアのみなさんの方がよっぽど現場のことを知っているよな・・・といつも申し訳ない気持ちです。
今回、名取に行ったのは大事なセレモニーのため
名取市海岸林再生の会が「海岸林の再生」を後世に伝えるために、植栽地内の南北のほぼ真ん中に建立した石碑の除幕式に参加させていただくためです。
事前に石碑の設計図を見せていただき、碑文も読ませていただいていました。
高さ約2.4メートル
これは、日本サッカー協会で定められたサッカーゴールの高さをほぼ同じ
見上げるほどだろうか?? こりゃぁちょっと高すぎないか??
石碑の上の部分が右下がりのデザインになっていて、なんで右肩下がり??
碑文が1400文字
原稿用紙3枚以上・・・小学校の時、原稿用紙3枚をうめるのは大変だったよなぁ
こんなにたくさん文字を入れたら、石碑はヌリカベのようだろうか・・・?
と、妄想壁が顔を出す(^^ゞ
林野庁や宮城県からも来賓としておよびしたかったところ、コロナ禍で規模を縮小せざるを得なかったようで、再生の会のみなさん、名取市、森林組合、松島森林総合、オイスカでこじんまりと開催しました。
除幕式はあくまで再生の会の主催のため、オイスカはお客さま扱い・・・といっても裏方をしてましたが;
それでも、ミヤテレ、東北放送、河北新報の取材クルーを含めると約50人が集まっていました。

石碑を建てた場所は、植栽地のちょうど中間地点、そして、7年にわたる37万本の植栽の最初の年、2014年に植え始めた記念の場所でもあります

石碑を建てた場所は、植栽地のちょうど中間地点、そして、7年にわたる37万本の植栽の植え始めの記念の場所でもあります


この日、印象に残ったことを少し
佐々木統括の挨拶の中で、
再生の会が発足した当初から石碑を建立することを一つの目標にしてきた。
昭和34年に建立され、津波にも耐え、今は葦が覆う湿地にひっそりとたたずんでいる「愛林碑」に再生の会のメンバーのお父さんお母さんの名前が載っていて、松林を守ってきたご先祖に感謝の気持ちを持つように、何代か先のお孫さんひ孫さんが、この石碑の裏の再生の会のメンバーの名前を見て、畏敬の念を持ち、松林を大事にしてくれれば嬉しい
と話していました。
1400文字の中で大事なのは最後の文章なのだと、
「この未曾有の大震災とその再生復興を後世に伝えるため、ここに『海岸林再生の碑』を建立する」
と結んでいます。
IMG_5754
ご支援くださる方の中には、石碑の建立はしなくていいのでは?というご意見もありました。
確かに、デジタルの世の中ですので、海岸林再生の記録は色々な形で残せるとは思います。でも、除幕式を終えた石碑を見ると、再生の会のみなさんの震災後10年の心の区切りのようにも思いますし、先の見えない世の中にあって、石碑という形あるもので後世に残していくのも大切なことだと感じます。
長くなってしまったので、次のブログに続く(^^)/
万歳三唱の音頭を仰せつかったのは、やはりこの人しかいないです!

万歳三唱の音頭を仰せつかったのは、やはりこの人、吉田さんしかいないです! 植栽地に「ばんざい!」が響き渡りました。

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