Behind the camera ~宮城8年目。たくさんの人を思い出しながら~
2018年3月10日( カテゴリー: 本部発 )
オイスカ宮城県支部は、仙台駅から徒歩10分。
総合商社カメイ株式会社の協力で、一等地のオフィスビルの一室をお借りしています。
1階にはFM局のスタジオがあり、窓越しに見える出演ゲストを見る人が絶えない場所です。
7年以上宮城に来ていますが、200回とは言いませんが、どう考えても100回は来た勘定。
「止まり木と思って、コーヒー飲みに来な」
1994年、新人駆け出しのころ、経団連自然保護基金の初代事務局長代行の古武さん
(いまオイスカ会員、首都圏支部役員)から言っていただきました。
「止まり木」。いいこと教わりました。
失礼ながら、いま、宮城県支部は私の止まり木でもあります。
おやつを食べながら、支部で購入している河北新報の「まとめ読み」も時々します。
オイスカ創立60周年の2021年に、宮城県支部は40周年を迎えます。
今年度、震災前と比べて会員数は倍増。200件を超えました。その原動力はチーム力。
会員の会合出席率、活動参加率など、直接接触率の高さは支部事務局の特長。
目に見えない地力があったから会員倍増に至ったと思います。
オイスカ職員が海岸林の現場に来る時は、時間が許す限り入れ替わり立ち代わり
支部に立ち寄り、ちょっとしたパソコンの操作から何から、なにか役に立とうと。
宮城に来れない本部職員も、日常業務の電話などのやり取りで、
温かく、尊敬と敬意に溢れた対応をしてくれます。
本部と支部のコミュニケーションの濃度は理想に近い。
「Behind the camera」
カメラに写らない部分。
故見原アイサ オイスカタイ事務局長がよく言っていた言葉。
2011年、もしオイスカが昔から存在しなかったら?
また、宮城に支部が無かったら? 海岸林再生プロジェクトは存在しないはず。
来週12日、オイスカでは全国支部会長・事務局長会議があります。
私はその進行をさせていただく役割になっていますが、震災から8年目に入るいま、
オイスカ宮城県支部に限らず、全国の支部、そして推進協議会という地方組織、
そして、わが同僚職員の力添えをあらためて振り返りながら、
3月11日までの1週間の出張をこなし、全国会議に出たいと思います。
復興8年目に入ります。
今回の出張は、あらためて多くの人のことを想いながら・・・と決めています。