海岸林ブログのお手伝い
ボランティアの木邑です。
来月からお仕事が変わるため、海岸林ブログ掲載のお手伝いは今日までとなりました。
大好きな作業でした。この機会に感想を書きますね。
2011年3月11日の地震のあと、
オイスカにいる友人に「何かお手伝いできることがあれば」と連絡を取りました。
1995年の阪神大震災のとき、関西研修センターに行き、
被災地の避難所でいろいろなお手伝いをさせてもらったことがあったからです。
6月に2人目の息子が生まれ、しばらくして、
オイスカの広報業務をお手伝いすることになりました。
東日本大震災のオイスカの支援は、『海岸林再生』プロジェクトとして進んでいて、
いろいろな中で、海岸林ブログの掲載もお手伝いしました。
海岸林に関わる方々の声、クロマツの成長、全国の海岸林について、
私も興味津々に読んでいます。
現場のレポートはドキュメンタリーな感じで…、”事実”はおもしろいですね。
担当の吉田さんの想いも、すごくよく伝わってきて、
写真や文章の体裁を整えながら、
たくさんの方々に読んでいただけるといいなぁと、作業をしました。
「海岸林あれこれ」もおもしろく、
全国の海岸林から学んで、宮城の海岸林がよりよくなっていくことを感じています。
そして、自分も海へ行くときは海岸林が気になります。
最近、”ハードルフェンス”を知りました。
今まで写真やいろんなろころで存在は知っていたけど、そんな役割があったのかぁとか。
”展望台”は景色を見るためだけじゃないんだぁと、今さらながら防災の役割に気づいたり…。
東日本大震災の支援として、この先10年、襟裳岬のようになるには60年・・・、
長い間かかる『海岸林再生プロジェクト』を、
オイスカだからできることをやっているのだなぁと、いつもいつも心に思うのです。
そして、そのブログ掲載という小さな作業だけど、
私も、東日本大震災の支援をさせてもらってるのだなぁと、時々思うのです。
これからも海岸林ブログ読みますね。どなたかにお手伝いいただけるといいですね。
ずっと海岸林のこと、オイスカのこと応援します。いい活動つづきますように。
木邑 優子 ばう 2013年8月28日
追伸:吉田さんとくみちゃんと写真を撮っておけばよかった。ブログには写真があったほうがいい。
おしぃです。今、二人はオイスカを支援してくださってる企業へお出かけしています。