海岸林再生プロジェクト担当の吉田です。
忘れぬように「振り返り」ブログも書かせて頂きます。
2011年3月13日(日)
震災直後、こんな時に野球をやっていてイイのか?
そういう意識もあったためか、息子・娘の少年野球の休憩時間に
なぜか直感的に「海岸林再生」を思いつきました。
それまで日本の海岸林には何の縁もなく、知識も全くありませんでした。
それまで学校林活動でご縁のあった宮城中央森林組合の佐々木次長の消息がつかめず、何度も何度も電話していたからか。
前の年まで2年間勤務した林業会社で叩き込まれた「スピード重視」が体に染みついていた?からか。
それとも、インド洋大津波の前も後も、長年オイスカと共にマングローブ植林に
取り組んでいる、タイ南部ラノーン県で行った住民ヒアリングが余程、印象に残っていたからか。
翌14日、2010年に学校林の仕事でお世話になった東北森林管理局の方と情報交換をし、同時進行で、その日のうちに職場の了解をとり、3月17日、皆川芳嗣林野庁長官宛に「海岸林再生への協力の申し出」として公文書をお送りしました。
ちなみに阪神大震災の時は新人1年目。
震災から1週間たった晩、親父に「お前はいつまで何をやっているんだ!」とド叱られ、即、当時の事務局長の自宅に電話して、オイスカとして、炊き出し・がれき撤去ボランティアを3月末まで期限限定で行うことを提案し、資金獲得・ボランティア募集などの後方支援を担当しました。
あのときは「怒鳴られてから」の行動でした。
写真は、タイ南部ラノーン県での住民ヒアリングの一こま。
マングローブのお陰で大津波から命は守られたそうです。しかし、津波と共に押し寄せた砂の影響で、「二つの籠」で示しているツモリの様に、漁獲高は30分の一になったため、男性が出稼ぎに出てしまい困っていると聞きました。
(撮影:2007年1月28日)

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