2022年4月4日

名取市北釜地区震災メモリアルゾーン完成披露記念式典

  • 海岸林再生プロジェクト
  • 本部スタッフ
  •  啓発普及部GSM担当(海岸林再生プロジェクト担当)の吉田です。

     宮城県名取市で進む「海岸林再生プロジェクト」の現場近くにある、仙台空港の真東の海に至る道沿いは、きれいに整地されました。ここにかつて「北釜」という集落があったとはとても思えません。一部はJR系の建設会社の研修施設になると聞いていますし、仙台空港の24時間化を見据え、ホテル建設の話もあるようです。

     「北釜」は500年前に遡る歴史があり、ながく、ワタリガニ漁や「釜」の文字が示す通りの塩田で生計を立てていたそうです。東日本大震災当時は約400名、 100世帯が住み、うち3分の2の人は海岸林に沿った農地の1,000棟のビニールハウス群などで、小松菜、チンゲンサイなど軟弱野菜を中心とする農業生産に従事し、年商2.5億円を生み出す一大農地を形成していました。しかし、チンゲンサイは仙台市場の8割シェアだったものの、震災で市場を奪われ、いまは小松菜中心と聞いています。いま、ハウスは約300棟が復活。新しい産物として、メロンに続き、いちご、トマト、サツマイモ、イチジクが始まりました。

     オイスカ会員や支援者にとっては、ここに名取市海岸林再生の会(以下、再生の会)の鈴木英二会長の旧宅があったことをご存じだと思います。その鈴木会長は、北釜の人の営みを永遠に伝承する場を求め、2021年に元住民の方たちと「ふるさと北釜を残す会」を立ち上げ、名取市と協議を重ねてきました。集落の北西端に北釜防災公園ができ、週末には駐車場が満車になるほど子ども連れでにぎわうようになりました。大きな遊具の位置には、再生の会の櫻井勝征さんのご自宅がありました。そして、この公園と隣り合う下増田神社内の消防団3名の慰霊碑を結ぶ遊歩道と、 集落の歴史と四季の様子などが記された説明看板の設置が決まり、市と鈴木会長をはじめとする皆様のご配慮で、海岸林再生の看板も加えていただくことになりました。

     この話をいただいたとき、正直なところ、とても驚き、嬉しく思いました。ここを訪れた方たちに、「なぜ海岸林が必要なのか」知っていただくという、非常 に重要な啓発普及の機会を得たのですから。看板の説明は、迷わず名取市閖上出身のイラストレーターicoさんの絵を中心に据えました。

    「そもそもなぜ海岸林が必要なのか」を説明した看板(作:オイスカ)
    デザインした二人(左:東京本部GSM担当課長の鈴木和代さん、右: イラストレーターのicoさん)

     そして3月30日、市と残す会主催の完成披露記念式典にオイスカは来賓としてご招待いただき、中野理事長の代理で鈴木和代さんとともに出席しました。市に icoさんの招待もお願いし、快諾いただきました。出席者は市長、議長を始め約70名。報道各社がこぞって取材に来ていました。書籍「松がつなぐあした」にも 登場する90歳の女性や、再生の会の方たちなどよく知った方たち、海岸林ボランティアの方も数名。式典は2部構成で、第1部は下増田神社の神式で祭典が行われ、ここで亡くなられた54名の方たちに黙祷を捧げ、第2部は看板8枚などの除幕式、記念植樹、市長や議長、守る会の鈴木会長のご挨拶があり、それぞれ皆さんから海岸林再生やオイスカについても触れてくださりました。

    名取市海岸林再生の会で育てたクロマツ苗を、山田市長と記念植樹さ せていただきました。除幕の幕引きも記念植樹も初体験。


     今年は、企業・労組などのボランティア来訪も増える気配ですが、出来るだけこの場所にお連れしたいと思います。

    仙台空港に降り立つ飛行機の機窓より。撮影:オイスカ広島県支部の志々田事務局長
    公募ボランティアは若い世代が増えてきました。みなさん もぜひ来てください。撮影:3月19日

    東日本放送

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