楽天が勝ちまくっているので、2013年以来の優勝が楽しみですが、今日はほんの一瞬だけ、20年に1度の「暗い気分」になりました(笑) オイスカ東京本部は、再び出勤人数を減らす措置を取ることになりました。こんなことがなければ、昨日から10日間名取の現場だったのに・・・
徒歩圏内に住んでいる職員が相当いるのですが、私は遠距離の部類なので、できるだけ在宅勤務に戻ろうと思っています。年間120日宮城に行き、他に行くことも多い所謂「出張族」なので、どこででも仕事ができるのが自慢にならない取り柄です。と言っても、お盆までに愛知と大阪で活動報告をせねばならず、在宅勤務というより、出張が大半かもしれません。人に迷惑かけないように、余計に注意しなければならない立場です。
3月から6月まででボランティア約670人をお断りし、さらにその後も、化学総連、UAゼンセン、ホーチキ、第一三共、仙台トヨペット、角川学園花壇自動車大学校・・・・・・奈良から年何度も来てくださる巽さんを始め、県内外の多くの個人の方は、私などよりもさらに残念な思いをしていると思います。心苦しい思いでいっぱいです。
名取の現場とは日々情報交換し、日々の状況はほぼ把握しています。宮城中央森林組合の現場代理人の佐々木君からは「下刈は順調。来週には終わる見込み。ツルマメの伸びが始まった」と。松島森林総合の佐々木代表からは、「こっちも順調。葛薬剤枯殺のための現状把握調査をした。猛烈に伸びてきてる。作業員の女性陣にモンペみたいな作業服を買ってあげた」と。気象庁長官が記者会見で「記憶にないほどの梅雨前線の長期停滞」と述べたとの報道がありました。再生の会の事務局の菅野さんからは「寒い。今日も寒い」と。「やませ」でもあるでしょうね。農家の方は日照不足を心配してることでしょう。クロマツにとっては、雑草の伸びが遅い。
お盆明けからが本当の勝負と思って、いまは我慢!
来るべき時が来たら、また一緒に頑張りましょう!
海岸林で鳥見ing「野鳥情報 コアジサシのその後」(2020/7/17)
地元のボランティアの三浦隆です。
結果を先に言いますと、この地では繁殖を放棄してしまいました.
7/4のボランティアの日にどうしているか見れると楽しみに、さらには望遠鏡をセットして、皆さんに作業の合間に陰ながら見ていただこうと思っていました。6/20のボランティアの日には20羽以上乱舞し、知人情報では一部孵化まで確認されていたそうなのですが、1週間後の6/27には1羽も見ることができませんでした。何かの原因で繁殖放棄した模様です。
6/30繁殖現場に入って見てきましたが、決め手になる原因は見つかりませんでした。確認できたことと放棄原因を推測してみます。
鳥がいた6/20と鳥がいない6/27の現地の港湾工事盛土の状態を比較した結果・・・
→盛土の状態は写真の比較で6/20と6/27で変化なし。現地の輪郭にあたる周辺に工事の為の目印か杭が数本打ち込まれていました。作業時の足跡も杭周りについていました。
→杭打ちの現地への立ち入りも影響はあるかもしれませんが、現地の端の部分、一時的なものなので決め手ではなさそう。いつの物かはわかりませんが、現地には車の轍が数か所にありました。
→推測:卵のかけら(写真)は数個ありましたが、踏みつぶされた形跡なしの為決め手ではなさそう。付近にはキツネがいますが。
→推測:足跡らしきものが見当たらない為決め手ではなさそう。但し現地は固目の地盤の為キツネの足跡が付くか疑問。付近にはカラスも多数います。鳥が巣を襲うことは十分考えられますが未確認。観察者も現地に入って近接から写真を撮っているのを見ています。危害を加えるつもりはないことはわかるのですが、繰り返しすると鳥にとってはストレスになると思います。他にはシロチドリは継続し数羽繁殖している様です。人との距離が近い場所もありかなりの警戒感を感じます。
はっきりとした原因はわかりませんが、世界レベルで絶滅危惧種に指定されている種だけに、繁殖環境に非常に敏感な所があるのではと思っています。昨今は海岸線等は恒久的な安住の地は、ほとんどないも同然です。以前東京などで成功した事例も聞いていますが、人の手で繁殖地を確保し保護する方策も必要なのかと思う所です。この地から離れたコアジサシが他の地で繁殖成功をすることを願います。

なんでボランティアに来るの? ~東北放送ラジオの放送ご案内~
広報室の林です。
今週末、県外からもボランティアさんを受け入れる予定でしたが
東京都内をはじめ、各地で新型コロナウイルスの感染者数が増えており
残念ながら中止せざるを得なくなりました。
いつも来てくださる皆さん、久しぶりのみなさんに
お会いできず、本当に残念です。
先日のボランティアの日、ラジオ番組の取材が入りました。
新人アナウンサーさんが自分もボランティアの一員として
活動を体験しながらボランティアさんたちにインタビュー。
ボランティアさんたちのインタビューを近くで聞いていた私。
「どうして継続してボランティアに参加されているんですか?」の
質問に皆さんがどう答えるのか楽しみでした。
常連ボランティアMさんは、
「ここに来ればいろんな人と会ってお話できるから。
それが楽しいっていうかね~」と。
こちらも常連ボランティアMさん。
「吉田さんも含め、やっぱり人の魅力っていうかね。
鳥や植物を見るのも楽しいし」
取材が入った時、私は思いっきりボランティアさん自慢をします。
「女性のMさんは、いつも軽トラで来てくれて、
現場までスコップなどの道具を積んで運んでくれたり、
昨年なんて1年の終わりに「芋煮しよう!」って
軽トラックにガスコンロから鍋から野菜から食器から全部準備して、
何十人分もの鍋を準備してくれたんですよ~」
「男性のMさんは、台風の後とか、コロナで東京から私たちが
現場に来られない時とか、現場の様子を見にきて、
写真とともに報告してくれるんですよ~」等々
その自慢のおふたりが、「人」と「楽しい」という
同じ言葉でボランティアに来る理由を語っていたのが予想通りで(笑)
うれしかったし、とっても印象的でした。
そして、活動を終えたアナウンサーさん。
「これまでのボランティアってもくもくと作業に没頭するものだったけど
ここではいろんな人が話しかけてくれて、いろんなお話が聞けた」と
おっしゃってくださり、きっとボランティアの両Mさんの楽しさを
ご自身でも体感することができたのではないかなぁと思います。
放送日が決まったとの連絡が入りました。
編集、大変だったのではないかなぁと。
楽しみにしています!
【放送日時】7月27日(月)19:30~20:00
【番組名】TBCラジオ 3.11 みやぎホットライン
小杉辰雄 OISCA ミャンマー国駐在代表/バングラデシュ国後方支援担当
1976年9月~1978年12月:パキスタン国立銀行プロジェクト、他 指導員として
1980年3月~1997年12月:マレーシアKPD/オイスカ研修センター指導員・所長として
1997年12月~2012年2月:オイスカ中部研修センター所長&顧問として
2012年2月~2017年1月:バングラデシュ国駐在代表として
2017年10月~現在迄:ミャンマー国駐在副&代表として
7月2~4日と海岸林再生現場を訪問しました。
植林現場では、初日の半日、再生の会の人達との新喰い虫対策ということで、被害にあった松の新芽のカット作業をさせて貰いました。樹齢の若い樹、広範囲に食害が出て先端松葉が赤変し、中に9mm程度の幼虫が食害していました。6~7月に幼齢木に多く被害がみられるとのこと、今年が初めての被害の様でした。
来年で被災から10年を迎える被害現場にも案内して貰いました。被災され壊され残されたものものからもその当時の状況が想像されるわけですが、何も残っていない多くの荒れ果て見放されている場所も何とも言えない状況を伝え、何とかならないものかと思った次第でした。震災遺構・荒浜小学校、復興伝承館など、当時の人々が暮らす生活が津波により壊滅的な被害を受け、多数の方々が犠牲となった様子を残し伝承を伝える施設や復興への経済活動に向けた新たな動きも始められている商業施設見学しました。一面、過去の様には戻れない大きな傷跡も地元の人達には残しているのだろうと推測した次第です。
最終日、小雨の中、海岸近くの駐車場、ボランティアの人達とのごみ拾い、海岸林を守る為の必要な仕事に、このようなものもあるのかと再認識した次第でした。試験的に植えていると言われていた広葉樹への施肥や水はけの悪い土壌地での排水の為の溝掘りも行ったわけですが、植林され成長したクロマツは、見たところの活着率99.9%と良く根付き、土壌の違いによる成長の違いは多少あるにせよ、全体に良く管理をされているなと感じると共に、専従職員・専門家の力と多くのボランティアの力が生かされて現場プロジェクトの成功となっているのではと感じた次第です。
今迄の植林との関わりから
80年代、いわゆる南洋材と言われるフタバガキ科原木の80%がマレーシア、特にボルネオ島のサバ州から、商業林として日本をはじめ各国へ輸出されていた。多くはオイスカ・サバ農林業研修センターがあった内陸のケニンガウの地を通過、そのお陰で地域・州は材木ブームで財政も潤っていた。熱帯林消失問題も議論され始めていたが、これと言って産業のなかった州の発展と各国の需要により伐採搬出が行われ、ロギングトラックと呼ばれる大型トラックが、熱帯雨林を網の目のように削られた起伏の激しい山路を命がけで原木を担ぎ出し、南シナ海に面した砂浜の港に運んで州財政を潤していた。そのような材木景気の中で、オイスカの植林事業「苗木1本の国際協力」の活動は、毎年、遠い日本から参加の多くのボランティアさん達が、地方の村や町の人達の目に付くところや目には触れない山の中で、現地の人達と共に汗を流し植林活動を行うことで、その活動の必要性や重要性が参加した。あらゆる階層の人達は勿論、新聞・テレビ等のメディアで広報され広く知れ渡るようになり、後に、「「子供の森」計画にも繋がった。その背景は違うにしても、海岸林再生プロジェクトも同様、いろいろな意味でのボランティア的な力に依るところでの発展が大きいのではと感じた次第です。
また、バングラデシュでのマングローブ植林、1991年のサイクロンで13万8千人の人がなくなり、翌年より始まったオイスカ植林は現在迄2,000Ha余りとなったが、その森の傍らには、人々の田畑や村・町での生活があり、それを守るという共通した事業目的は、国内・国外の垣根を超え、共にその事業が発展することを望むばかりでした。
荏原美知勝 OISCA PNG駐在代表 プロフィール:
1983年6月から1993年1月まで:オイスカパラオ研修センター指導員
1993年3月から2004年3月まで:オイスカラバウルエコテック研修センター所長
2004年3月から現在まで:同上研修センター 技術顧問及びオイスカパプアニューギニア駐在代表
ぜひ!!ご覧ください。これが海外現場のオイスカ!(by 吉田) 2019年放送「NHK World」(28分)
PNGの村々での農業指導。我々オイスカ職員がなぜオイスカで働くか伝わると思います。

PNGからの「子供の森」計画親善大使を2年前に受け入れてくれたIBEXの社員の谷川君は、子どもからもらった帽子をかぶってきたら、偶然駐在代表が来ていた。帽子をくれた児童にこのことを報告してくれるでしょう
7月2日から4日まで、視察とボランテイアに参加させて頂きました。ただいま、コロナ渦で家族を現地に残し、たまたま一緒に日本に来た次男とともに、赴任できない日々が続いておりまます。「まだ一度も、名取に来る機会がなかったですよね。折角だから(同じく赴任できない)ミャンマー駐在代表の小杉さんや、海外事業部の新人職員たちと一緒に。小杉さんとは何年も会ってないんですよね」と吉田君から声がかかりました。
フィリピン、パラオとパプアニューギニアで何度も植林活動をしてきましたが、今回の名取市での視察とボランティア活動は今まで経験した植林活動との違いをいくつも体験することができました。そして期待していた通り、現在駐在しているパプアニューギニアのラバウルでの植林活動だけでなく農業畜産業にも生かせそうなアイデアももらうことが出来感謝でした。再赴任した際には是非実施してみたい幾つもの考えが沸き起こりワクワクしています。
2011年3月11日、大津波が襲った名取の海岸に沿って100ヘクタール(200m x5km)の面積に整然とクロマツをメインに、そして約600本という数でしたが、広葉樹であるヤマサクラ、ケヤキ、コナラなど10種が植林されていました。冬と夏で反対に吹く強風にさらされる苗を守るため、各種の柵も5m位の間隔で地面に置かれていました。地震と火山の噴火以外に酷い自然災害が殆ど無いラバウル地区の人たちが実施する植林の違いのひとつがここにありました。名取ではこのような経費と労力を惜しまずに掛けないと苗が育たず、松林の再生が難しいのです。厳しい気象条件下でのプロジェクトである点も心に響きました。
今回訪れることが出来た海岸林再生プロジェクトはオイスカの中でも最大規模であり、かつ成功しているプロジェクトであると思います。成功の秘密が何処にあるのかも考えました。
1、土地問題が無い。
2、地元住民の願いに沿ったビジョンであること。
3、官民+企業の協働体制を整備すること。
4、活動資金を積極的に集める人材が確保されていること
5、地元住民を中心にしたボランティアが参加できるプログラムがあること。
6、活動報告が細やかに支援者に届いていること。
7、プロジェクト指導層の情熱!
8、最も大切かつ根本的な点として、例年以上(予想を超えた)の異常気象に見舞われていないこと。
今年2020年で10年目を迎えたこのプロジェクトが、これからも多くの人とサムシング・グレートに支えられて前進できるよう祈っています。
息子の望人(のぞみ)の視察感想:
津波で被害を受けた場所に一緒に行こう、お父さんから誘われた時想像した名取の町と、実際に見た町は全然違っていました。地元の皆さんがオイスカのスタッフと一緒になって100haの松の木を植えるプロジェクトを見て、本当にびっくりでした!そして自分もボランテイアの人たちと“最高の森を造っているプロジェクトに参加できてとても嬉しかったです。
荏原美知勝
以下、Nozomi君の撮影
吉田です。今日は、広葉樹9年を振り返りながら、所感を箇条書きしてみます。
【総括】
- 海岸防災林「再生地」への樹種選択として、荒野と化した吹き曝しの土地では、広葉樹では枯損率が高く、生長も極めて遅く、そもそも不適。
- それでも広葉樹を選択するなら、クロマツの10倍以上のコスト・労力を要する。養分のある土を完全に客土し、防風対策の付属品をつけ、クロマツより伸長が遅いため年2回の下刈が長く続き、もちろん施肥を毎年続けるなど、コスト度外視の覚悟がいる。
- 植栽位置は、波打ち際から少なくとも400m以上離れている必要がある。海岸防災林の造林の考え方ではなく、造園の考え方・予算の出処で公園等で局所的に植栽する程度が望ましい。
- 宮城沿岸部は、5月下旬~11月上旬までは海からの塩分を含む東風が主風、それ以外の期間は「蔵王おろし」と呼ばれる寒風・乾風害を伴うこともある強風が吹く。土壌環境のほか、気象が広葉樹への大きなリスクとなる。
- 先端枯れ、根元からの萌芽更新、先端枯れ、萌芽更新を何年でも繰り返し。上方生長できない負のスパイラル。
【樹種選択・育苗】
- あえて宮城沿岸の適正樹種を言うなら、落葉高木:ヤマザクラ、オオシマザクラ、ウワミズザクラ、ケヤキ、コナラ、クリ、エノキ。戦後の治山木として植えられた高木のハンノキも適。常緑低木:ツバキ(ただし、半日蔭が出来る先の話)。常緑高木のタブノキは砂には刺さらない。常緑低木でトベラ・マサキなどは宮城の寒さに不適。なお、当然のこととして、特別な事情がない限り採種地は宮城県産であることが望ましい。
- クロマツと同じ育苗場で育てたが、そもそも、海沿いであること自体が気象環境的に無理があり、数的ロスが多かった。
- 常識的には、育苗期間1年、草丈を優に超える1m程度の苗で出荷するはず。しかし、苗高が必ずしも高く苗のほうが、風当たり面積が少なく有利ではないか。
- 某県沿岸部の有力育苗家(直播・裸苗)に諸々習ったが、門外不出の「根切りのタイミング」がある模様。
【植栽】
- 宮城沿岸では、春植え不適(成績不良。1年後生存率17%)、秋植え(9月末~10月中旬)が適。11月の植栽では遅い。
- 仮植した苗、4ℓ以上の培土と、液肥・給水ポリマー・水を混ぜて大きなビニール袋に1本一本入れた「泥付き苗」で出荷・植付。植穴は40×40×40cm以上となる。
- 冬越しし、5月に無事開葉したとしても、6月~7月に葉が蒸散不能の症状を見せ、やがて植栽後まもない苗はほぼ100%「先端枯れ」を起こす。いわゆる「大苗」(育苗期間2年以上)も同様。先端枯れ、根元からの萌芽更新、先端枯れ、萌芽更新を何年でも繰り返す。上方成長できず、クロマツを仰ぎ見ながらの負のスパイラル。
【保育】
- 上方成長が極めて遅いため、下刈は樹高が草丈に勝るまで年2回が必須。秋以降の寒風害対策として、枯草は防風柵でもあるため、全面刈りではなく、つぼ刈りとしている。
- 当地の盛土仕様の土壌では、施肥は少なくとも草丈に勝るまで、毎年継続が必須。1本1本の樹勢から判断し、根の先端を予測して施肥穴を3ヵ所掘り、オール8を50g×3穴/本行っている。施肥穴の位置が適切でないと、効果がゼロである。
- 高さ1.6mの防風垣を越え、風に吹き曝されたとき、どうなってゆくか注視し、引き続き管理を継続したい。なお、これまでのところ、害虫、獣害などの被害はほぼ受けていない。
- 当地の海岸防災林の最内陸部は、最終目標林型として高木クロマツ、中木広葉樹、低木常緑広葉樹などという複層林を目指します。広葉樹植栽671本は、そのための「母樹」の位置づけ。将来に本数調整伐をした後などに人の手で「樹下植栽」(林間植栽)しても、生長不良で「もやし以下」と襟裳岬の実証実験結果から学んだ。あくまでも、鳥類やタヌキの糞に期待して、実生で育ってきたたものを大切に確保して育てたい。
- 今後の戒めとして、クロマツも万能でないことを忘れてはならない。マツクイのリスクがある。したがって、クロマツが壊滅した場合に沿岸が完全裸地化しないためにも、海岸防災林最内陸部は複層林化を最終目標林型としてゆきたい。
【その他】
- クロマツと広葉樹を「混植」した組織が見られたが、「海岸防災林」再生の目的をはき違えていた。その後も、下刈・追肥をせず、枯損・植栽後の上方生長皆無。ところどころにクロマツが立っている「風通しの良い防風林」と隣接地に畑を持つ農家が言った。
- とにかく震災後は「植林至上主義」が跋扈したが、植栽後管理を非常に怠り、コストもろとも地主に押し付けている。だから、植林ボランティアはプロから嫌われ、陰口を叩かれる。植栽実面積と法面・作業道を合わせ、境界まで管理する「常識」も心得ず、指導されても黙殺する。突如11月に業者に下草刈りをさせたと思ったら、翌日大勢のスーツ族が来たのも見た。11月に下草刈り・・・2回見たことがある。
- 「広葉樹を・・・」と言った組織や、一部の専門家・報道は、広葉樹のその後を検証せず、忘却の彼方。沈黙している。
【余談】
先日「タブvsクロマツ」というブログを載せました。
モニタリング調査対象の2016年10月植栽タブノキ(樹高40㎝)の根元から、実生のクロマツが伸びてきていて、タブと同じぐらい高さになっているのを林久美子広報室長が発見。去年根元で発芽したのか。気付かなかった・・・では、これをどうすべきでしょうか? 教科書的な答えは単純。マツを伐ります。なぜなら、①抵抗性クロマツという保証はない(残存木のマツ傘から風で飛んできたにしては遠い?。500m南に離れている。植栽した抵抗性マツの種子の可能性もある)。②植栽したのはタブ。③しかも調査対象。④その上、数少ない生存個体。
海岸防災林のクロマツvs広葉樹論争は、とうの昔に、現場の結果で決着がついたと思います。ですがよりによって、オイスカしか見てない変なところで再燃・・・ともかく、先に伸びるのはクロマツでしょう。放置すれば、数年後にはタブノキを根元から引き抜いて持ち上げるかもしれません。植栽後4年も経って、やっと葉の枚数が微増傾向に上向いたこのタブノキの根張りは、大目に見てもまだせいぜい50㎝程度でしょうし。しかも、ここのタブノキは蒸散機能が悪化し、毎年夏にたくさん葉を落とします。このクロマツは今年の夏、光をたくさん得るでしょう。
それにしても、わが社の女子の「現場で気付く眼・感性」は凄い! やっぱり現場百篇ですね。
広葉樹植栽地の写真報告
潮のストレスを極力回避するために、波打ち際から400m以上離れた、海岸防災林最内陸部に植えています。今日は写真報告。これまでの経緯は、海岸林ブログカテゴリー「広葉樹」
ますは、盛土仕様書に合致した「山砂」の個所(名取2区・国有林部分)
次に、粘土が混ざる箇所。土壌は湿。(名取1区・国有林)。イネ科の雑草が多い。
最後に、粘土が非常に多い個所(名取9区・市有林) 毎年、蚊がとても多い・・・
広葉樹植栽から6年目のいま(開葉確認の調査結果)
東京大学名誉教授の太田猛彦先生が「山林」6月号(大日本山林会)に「平成時代における治山事業の変遷」と題して執筆されました。平成30年間の治山事業を総括した形ですが、治山など森林の権威の太田先生が矢面に立った「3つの小さなバトル」として、①海岸防災林の再生と植栽樹種問題、②三保の松原など全国におけるマツノザイセンチュウ対策、③先日の豪雨で大災害となった球磨川の上流、「川辺川ダム」建設をはじめとする「緑のダム」機能に関する論争について書かれていました。当プロジェクトは①に関するクロマツvs広葉樹論争に否が応でも巻き込まれました。震災後3か月ぐらいから約3年にわたり、全国の市民からご意見や質問、あらゆる要望、希望、申し出を受ける立場にあったという点で、最前線に立っていました。事実は、小林省太さんの「よみがえれ!海岸林」(8月発行のvol.12)に譲るとして、今年は震災から10年目。広葉樹植栽から6年目。現場での結果を総括する時期だと思っています。
「あんな海沿いで広葉樹を植えても無駄」「吉田君の趣味」と地元農家の名取市海岸林再生の会のみなさんから「しづられ」(からかわれ)ました。育苗場では散水もしてもらえない時がありました(笑) 植栽後、プロに追肥を頼んだら、わざと??忘れられたこともありました。私たちは「蔵王おろし」の寒風、寒風が吹く荒野のど真ん中、しかも海沿いで、広葉樹がダメなのは最初から分かっていました。しかし、新聞でよく取り上げられるほどの「論争」の渦中にいましたから、どのぐらいダメなのか、検証したいと考えました。ほかにも挑戦した理由はいくつかありますが、かつてのブログに縷々記していますので割愛します。
2014年5月の1回目植栽で、「1年後生存率17%。2014年~16年の間で補植3回!!」(笑)。成立本数はクロマツ36万本に対し、広葉樹10種671本。これまでの成果として、当地では、クロマツは春植えがリスクが少ないのに対し、広葉樹は秋植えが適していることが分かりました。ただし、バーク堆肥や液肥、吸水ポリマーなどを混ぜた、1本あたり4ℓ以上の土を用いる大変重たい「泥付き苗」を使いました。普通の植栽とは大違い。ほぼ、土木作業。
7月4・5日、ボランティアの皆さんとともに、毎年恒例の下刈・追肥と、「開葉確認毎木調査」をしました。
調査結果は・・・
植栽本数671本、生育本数574本(生存率約86%)
【内訳】
名取1・2区(国有林):植栽本数470本、生育本数385本(生存率約82%)*半分は山砂ゾーン
名取9区(市有林):植栽本数201本 生育本数189本(生存率約94%) *山砂は皆無、粘土が多いゾーン
一向に大きくなりませんが、数字上の見た目は、なんとか維持していると言えますでしょうか?
防風垣を超えるほど大きくなると、今度は本当に吹き曝しになり、先端枯れを起こしやすくなるかもしれません。
これまでの広葉樹の経緯はコチラ
後日、写真に特化して何度か報告します。
いまもなお、「広葉樹に関心はない」「ムダ」と身内から言われることもありますが、広葉樹を悪者扱いしているわけでないことも知っています。でも、育苗2年、植えてからさらに6年、十分頑張りました。もし今年の追肥が効かなかったら、これで肥料は最後にするかもしれません。
広報室の林です。
先日、広葉樹の施肥作業をボランティアの皆さんにやっていただきました。
その間、吉田は調査をするということで、
記録係に新人スタッフを従え、育っている広葉樹の名前を
口にしながら歩いていました。
コナラの生育がよく、続けて「コナラ、コナラ、コナラ……」と
通り過ぎていく吉田を見送りながら
「オナラ、オナラ、オナラ」と嬉しそうなのは、ボランティアのMさん。
いつもギャグやダジャレを言って周囲を楽しませているMさん。
(Y田がいうとお寒いオヤジギャグもMさんだと吹き出してしまうのです!)
奥さまと一緒に軽トラックで現場に来てくれています。
畑での作業、裏山の草刈りなど、いつも体を動かしているMさんは
ここの現場でも仕事が的確で素早い!!
奥さまがご主人のことを「お父さん」というので、
私も勝手に「お父さん」と呼ばせていただいています。
楽しく働き者のお父さん、いつもありがとうございます!
またまたボランティア中止のお知らせ
こんにちは、浅野です。
皆さんに残念なお知らせをしなければなりません…。
今日のコロナウイルス感染者が東京だけで220名を超えたということを受け、
7月18日、8月1日のボランティアの中止を決定いたしました。
お申込みいただいていた方には本当に申し訳ないです。
全国からの参加が予定されていること、またスタッフが全員首都圏から出張していることから
移動の際の感染リスクをゼロにすることは出来ないということで今回の判断に至りました。
6月20日にやっと再開ができたと思ったのに残念ですが、3週連続で開催でき
宮城県民のみなさんに頑張っていただいたおかげで、ゴミ拾いも済み、
クズに絡まれていたマツも救出でき、元気のない広葉樹に施肥ができました。
ツルマメも今年は成長が遅く、(他のところのは伸びていたので去年の皆さんの頑張りのおかげです)
先週の時点でモンスタークロマツになっていたマツはありません。
再開は8月22日のボランティアの日を予定していますが、
今のところ確定ではありません。8月3日の週には決定したいと考えております。
また決定次第、ホームページ・ブログでも案内させていただきます。

まだまだ予断を許さない状況ですので、皆さまもくれぐれもご自愛ください。