育苗がはじまります!!
この春からクロマツの種蒔きがはじまります。
クロマツの苗を育てる畑を私たちは「圃場(ほじょう)」と呼んでいますが、圃場は2ヵ所あります。
1つは、名取市の海岸近くで、津波をもろにかぶった場所です。
もう1つは同じく名取市内ですが、海岸から7~8km離れた津波の被害がなかった場所です。
2ヵ所で苗を育てる理由の1つが、リスクの分散です。
どちらかの圃場でなんらかの悪条件が生じて、苗の育成が困難になった場合に備えます。
クロマツの育苗は一筋縄ではいかない上、これらの圃場での初めての育苗なので2ヵ所で様子を見ながら育てていきます。
海岸に近い方の圃場は、津波に土を持っていかれたため、遠くの山から持ってきた土を盛ってあります。
しかし、このままでは土の養分が少ないため堆肥を加えます。
先日4tの堆肥が運び込まれました!
着々と準備が進んでいます。
「無印良品の募金券」で寄附ができます!

2月24日からの3ヵ月間、無印良品ネットストアから「海岸林再生プロジェクト」に寄附ができるようになりました!
「無印良品の募金券」から「被災海岸林再生支援」を選んでください。10円、100円単位で10,000円まで選べます。手数料は無料。(無印良品さんが負担してくださいます)
また、オイスカスタッフと同社の社員さんとの対談も掲載中。
ぜひご覧ください。こちら→→「社会貢献を知ろう!」
人に話すことの大切さ
インターンの秋山です。
ごぶさたしてしまいました・・・。
先日、名取で被災した方のお話を聞きました。
3月11日は仙台空港のすぐ近く、海岸から500mほどのところで働いていたそうです。
その方は、間一髪で仙台空港ビルの2階に登りきり、津波から逃れたそうです。
その後、空港ビルで2泊し、ビニール袋を重ね着して寒さを凌いだと言います。
話を聞きながら、自分の経験も思い出しました。
電気が復旧した3月12日の朝、自宅のテレビで津波の映像を見た時の衝撃や、「原発から爆発音がした」という速報を聞いた時の何とも言えない気持ちを。
誰かに話すことで記憶を留めておけるんだと思います。
その方のじっくりと語る口調からも、そういう印象を受けました。
震災のことに限らず、自分自身の話をすること、聞いてもらうことって大事だと思いました。
自転車で風向かって進むのがなかなか大変でした。
インターンの秋山です。
昨日から名取市に住みはじめました。
レンタカーで名取~つくば間を1日で往復し、引越終えました。
車のメーターは800kmを越えてました。ひとりでこれだけ運転できたのは自信になります!笑
老松不動産さんには車で駅まで送ってもらうなどお世話になりました。ありがとうございました!
宮城でいよいよ本格的に働きはじめます。
頑張ります!
仙台国際センターで開催された、林野庁主催の国際セミナー
「自然災害における森林の役割と森林・林業の復興」に行ってきました。
アジア太平洋を中心とした国々から、各国の森林政策に携わる行政官や
研究機関の代表ら150名ほどが集まるセミナーでした。
ここでオイスカの緑化技術顧問の清藤先生がプレゼンを行い、オイスカの
「富士山の森づくり」や「海岸林再生プロジェクト」の取り組みを紹介しました。
「富士山の森づくり」での他セクターとの協働や地元住民の参加などの成果
を報告することで、海外からの参加者に深く海岸林再生の取り組みに期待を
持ってもらうことができたと思います。
また、会場の外ではプロジェクトのパネル展示も行い、多くの人が立ち寄って
募金にも協力してくれていました。
ご協力くださった皆さん、ありがとうございました!
2月4日、公益財団法人フォーリンプレスセンターの要請を受け、中南米からの記者団10名の海岸林視察を行いました。
クロマツお助け隊の隊長でもある名取市東部震災復興の会の鈴木英二会長が
写真を見せながら、被災時の状況などを報告。
参加者の皆さんは
「その時、どこで何をしていたんですか?」
「今はどこに住んでいるんですか」
「なぜまた以前と同じ仕事をスタートさせたのですか」と
次から次へと質問をしていました。

海がすぐそばに見える防潮堤からは、残された海岸林を望み、その再生の重要性を説明しました。中南米では、海岸線にある植物はマングローブだということで、松はめずらしいようでした。
「なぜクロマツなのか」
「防災林としての機能を発揮するまでにどのくらいかかるのか」
と、ここでも熱心に質問をしていました。
東日本大震災は、多くの国で防災意識を高めることにつながっていることを感じ、日本が得た教訓を各国に広げて行くことも大事な活動だと思いました。









