8月、宮城県庁と合意ができた。
そして9月5日、ようやく名取市役所へ。
県から面会を調整してもらった。
少なくとも私だけはとても緊張していた。
半年かけて辿りついた場所だから。
眺めはよいが、不具合に広い会議室だった。
ぞくぞく役所の職員が入ってきた。
ありがたいと思ったが……

名刺交換「もつ煮」


名刺交換をした。
しかし、私は間違えて、表参道の「もつ煮」のサービス券を
出してしまった。しかも、一番偉い人に。
さすがにその方はリアクションできなった。
仕方ないから、続く人は付き合いで型どおり爆笑していただいて。
それで我に返った。普段通りに戻った。
「サービス券」は今でも記念にとってある。
もつ煮を見るだけで名取市役所を思い出す。
意図せず、完全にこちらのペースになった。
説明と議論は始まった。
ただ、奥にひとり、ものすごく真剣なまなざしの人がいた。
真剣のレベルが違う。どう考えても一番若いのだが。
彼は終始頷いていた。しかし、睨みつけらているようにも見えた。
その気合を計りかねた。
しかし、後ですぐわかったのだが、
彼が海岸林のまさに担当者だったのだ。
並々ならぬ愛情を持った担当者だった。
その後については記すこともない。
我々気合の塊の皆に愛される一人になったのはもちろんの事。
振り返りブログで何度も言っていることだが、
ご縁というものだと思う。
オイスカだけで仕事しているのでない。
彼に限らず、どれ程のかたに協力してもらって歩いてきたことか。

広い会議室での協議

北釜地区農業のデータ

2012年12月25日( カテゴリー: 本部発 )

10月24日のオイスカ国際フォーラムでの発表等をもとにお伝えします。
北釜地区人口       380人(107世帯) *54 人死亡確認
農業就労人口       約350人(85世帯)                
専業農家          25世帯
兼業農家          60世帯                  
これまでの年間総生産額        約4億円
 〃 専業農家一戸当たり生産額   約1,000万円
 〃 専業農家最高額          約1,500万円
海岸林西側農地面積       約50ha
 〃 ビニールハウス棟数    約1,000棟(全壊・復旧見通し不明)    
被災後農業再開世帯数         10世帯
再開していない多くの方は農地復興に関する日雇い労務     
約3,500万円/年(農地復興組合約200名)
名取市下増田全体の主力青果物5品目平成23年度共販実績(販売金額)
チンゲンサイ H22:129,533,037円 ⇒ H23:25,473,460円(前年比20%)
          *単価前年比:91% ただし今年度は他県シェア増大。
小松菜     H22:43,140,027円 ⇒ H23:9,245,890円(前年比21%)
          *単価前年比:93% 現在の地元主力品目。
トマト      H22:36,204,521円 ⇒ H23:0円(前年比0%)
          *単価前年比:0%  出荷数は依然増えていない。
ブロッコリー  H22:22,991,799円 ⇒ H23:6,176,850円(前年比 27%)
          *単価前年比:761% ただし 今年度は価格が良くない。
ミニトマト    H22:9,049,289円 ⇒ H23:0円 (前年比0%)
          *単価前年比:0%   出荷数は依然増えていない。  
*その他の青果物品目
  カリフラワー、ホウレンソウ、レタス、みず菜、とうもろこし、かぼちゃ、
  雪菜、きゅうり、メロン、米
*平成24年度実績については、来年春までに情報入手次第お伝えします。

北釜地区集落とビニールハウス団地南端


名取市海岸林再生の会メンバーのチンゲンサイ栽培

ありがとうございました!

2012年12月21日( カテゴリー: 本部発 )

インターンをしていた秋山です。
今月7日のトークイベントで海岸林再生プロジェクトインターンのすべてを終えました。
今年2月の名取に引越した日は雪が積もるとても寒い日でした。それからあっという間に次の冬がやってきました。
私自身、最初は海岸林が再生されるイメージがなかなか湧きませんでしたが、播種や発芽、盛土工事など現場の動きを見てきた今は、その再生された姿を想像できるようになってきました。
終わってみれば短い10ヵ月だったと感じます。
しかし、いろいろな人と出会い、たくさんの経験ができた中身の濃い10ヵ月でした。
名取市海岸林再生の会の皆様
現場等でお会いした企業の皆様
オイスカ会員の皆様
ブログ読者の皆様
吉田さん・佐々木廣一さん・林さんをはじめとするオイスカの皆様
など、多くの人にお世話になりました。本当にありがとうございました。
現場の仕事はもちろんのこと、これだけ多くの大人と会ったことも最高の経験でした。
10年間のプロジェクトの最初のたった1年で退くことは残念でもありますが、海岸への植林など現場が忙しくなるのはまだこれからなので、そういう時にボランティアとしてできる限り参加するつもりでいます。それに名取はまた帰りたい場所でもあります!
これからは大学に戻り、就職活動に入ります。このインターンでの収穫と反省はきっと今後に生きてくると思うし、生かさなければと思います。
そして、インターンで出会った人々のような魅力ある人間になれるように頑張ります!
関連ブログ インターンを終えての感想(2012年12月27日)

新しい場所で立ち上げる場合、信用と信頼を得るのに、経験上、3年は必要だと思っている。
別の現場で、幾度もあんまりな言葉を投げかけられたことがある。
宮城県庁はいつ何時も面会に応じ、断続的に意見と情報の交換を継続していただいた。
以前、某商社から当該部署の雰囲気は聞いていた。
地域の森林計画は県が多くの実務を行うことから、市町村との接触の前に、
じっくり県当局と話し合う必要があった。大枠合意できてから、名取市と接触するのが妥当と考えた。
まず、私たちの計画の出発点、つまり苗木生産のスキームをよく理解していただき、
必要な存在と認めてもらう必要があった。被災地農家の技術と熱意を活かし、
早急に苗木生産の担い手を確保し、育苗のスタートを切ることである。
内部で「なぜそんなに急ぐのか」と問い正されたことがあった。
行政・種苗組合・地元と何度も腹を割って話し、ともに歩むと
実際の一歩を踏み出すのには時間がかかる。
まずは何より宮城県庁。それがなければ地元は翻意する。
そして、1年に一度の播種の時期を、万端で迎えなければならない。
簡単な仕組みではあるのだが、NPOの存在が不可欠であるし、
応援いただく寄附者が必要で、平時ではこの仕組みは認められないだろう。
平時は、商品である苗木を納品しないと、働く人は対価を手に入れることは
できないが、野菜と違い苗木は2年以上かかるのだから。
我々の試算で、最も大きな被害面積の宮城県だけで必要な苗木は
600万本。それに対し、震災前にクロマツを生産していた農家は7件のみ。
4月の時点で、担い手が不足しているのは明らかと把握していた。
担い手がいないという事は、いかに山に木を植える場所がないか、
いかに木が使われていないかの証明でもある。
産業とは到底言えない規模だ。
林業種苗法に明記されているものの、新規参入者がいないため数年間開催されていない
「山林種苗生産事業者登録講習会」を開催していただくよう宮城県に働きかけ続けた。
そのためには、建前でなく、本音の意味として、種苗組合全体から
「仲間」として認識される必要があった。
2011年8月11日の協議で、いよいよ講習会開催の方針が明確になった。
それにより、「海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画」をプレスリリースし、
募金態勢にも入ることができると考え、9月22日にリリースを行った。

宮城県庁での協議(20011年7月)


県庁を出た後、場所がなく、スナックを昼から借りてスタッフ会議を続けた

※振り返りブログは、担当の吉田が執筆しております。
すぐにはお伝えできなかったことや後々のために記録しておきたいことなどを
時系列で振り返らせていただいております。
名取事務所統括の佐々木廣一さん。
初めてお目にかかったのは、2011年5月26日の初陸上踏査。
一服入れにご自宅に立ち寄った時、庭で一行はコーヒーをいただいた。
何となく、私は緊張しながら、廣一さんにオイスカの資料を手渡した。
宮城中央森林組合の佐々木勝義さんのお兄さんである。
勝義さんには、学校林の仕事で以前から懇意にしていただき、
「海岸林再生プロジェクト」でも、名取市が同組合の管区内でもあることから、
こちらの活動でもお世話になっている
廣一さんが「林野庁東北森林管理局を3月末で定年退職した」と
勝義さんから聞いていた。
2度目にお会いしたのは同年8月。
この時私は息子と娘を連れていたが、
別の目的も持って、ご自宅に泊めていただいた。
勝義さんと息子さんの秀義さん、おばあちゃんや廣一さんの奥様も交え、
深夜までオイスカのこと、海岸林のことをとことん話した。
佐々木兄弟と私が飲み出すと、しばしば、壁に穴が開くような音量になる。
「廊下まで声が聞こえる」的なネタには事欠かない人が3人も集まっても、
佐々木家は心配ない。隣家がない丘の上だから。
ご家族も平然としている。うちの娘だけが「昨日何で喧嘩してたの?」と。
勝義さんはいつも話していた。
「うちの兄貴を説得しよう」と。
私は現場にはプロ中のプロが必要と思っていた。
志だけではできない仕事だから。
オイスカも値踏みされていたと思うし、私は私で一緒にやってゆける人かどうか、
あの日以降も、間違いなくお互いに考えていた。
そののちも、9月の調査全行程、10月の170人視察受け入れ等々にご同行いただいた。
そして11月にまたご自宅へ。
その時は、もちろん廣一さんにお願いするのだが、
むしろご家族からも認めていただく気持ちで、
「オイスカの現場責任者になってください」と
静かな気持ちでお願いした。
既に「一の蔵」が2升置いてあり、話は20秒で終わった。
片手に余る、いくつもの引く手を断って、
最も条件の悪い、ゼロから立ち上げの私たちのところに来ていただいた。
「生半可な仕事と違う」
私にはもちろん、家族の皆さんにも言ったような、
あの時のこの言葉と、重みだけは片時も忘れない。

育苗場で、視察ツアー参加者に説明をする佐々木さん

北釜耕人会の生い立ち その②

2012年12月18日( カテゴリー: 本部発 )

(昨日のその①の続きです)
我々北釜耕人会は、3夫婦6人で構成しています。
毎日何もすることがなく、ごろごろしていた時、
「このままでは人間としてダメになるのでは」と思い、
避難所近くを散歩して場所を探したり、近くの友人を頼り、
農地を貸してくれるよう場所を見せてもらいました。
(海岸より内陸に約10km。今、この農地は、第2育苗場でもある)
初めて見せてもらった時は「ここが畑か」と疑うような荒れ地で、
草が1mも生い茂っていました。
4月16日にその荒れ地に初めて手を入れ、5月には小松菜の種蒔きをしました。

このメッセージを見たとき、私もこみあげてくるものがありました(吉田)


震災前の海岸林横の農地は砂質土壌で、震災後に借りた農地の土と性質が全く変わり、発芽するまで皆はとても不安でした。
そして6月の初収穫。園芸課長に「苦難を乗り越えよく頑張った」との色紙をもらい、皆で涙を流しました。
その後、生協さんとのタイアップで仙台白菜の再生事業などの取り組みもしています。また、露地野菜中心では年間を通じて出荷できないため、国の補助事業などを利用しながらパイプハウスを20棟の組み立てを行いました。
 
 
来春からはハウスを利用した周年栽培で、安全で安心して食べられる野菜を
1年を通じて安定的に生産してゆくので皆さんにも利用していただきたいと思います。

決断力と行動力が際立つ皆さんです

北釜耕人会の生い立ち その①

2012年12月17日( カテゴリー: 本部発 )

※10月24日のオイスカ国際フォーラムでの発表をもとにお伝えします。
北釜耕人会 常務 高梨仁 (名取市海岸林再生の会 幹事)
名取市下増田北釜地区は、仙台空港の東、太平洋と貞山運河に
挟まれた、約800mの間に107戸、400人ぐらい住んでいました。
震災により住宅、車、農機具を失い、そして54人の犠牲者を出してしまいました。

海岸林を目前にするご自宅跡地にて(撮影:11月26日)


集落の北に従前より耕していた農地25haと、30年ほど前に仙台空港拡張に伴い代替用地として国有林の払い下げを受けて開発した農地25ha、あわせて50haの農地に約1,000棟のパイプハウス(ビニールハウス)を建て、青梗菜(チンゲンサイ)をはじめとする小松菜・みず菜など軟弱野菜を仙台市場に年間を通して出荷していました。
青梗菜で仙台市場年間流通量の80%に達する産地が、一瞬にして瓦礫の山になってしまいました。林帯幅300mのマツ林も失い、農地から太平洋が見える状態です。
震災では、消防団として避難誘導に務めたため逃げ遅れ、波が来る一瞬前に、登ること自体考えられない高さの自治会館の屋根の上に登り、水が引かないため雪の中、2日間耐えました。
仙台空港で土産物の萩の月や笹かまぼこを分けてもらい、
3月13日に市の指定避難所の名取二中の体育館に移り、
5月31日までの2ヵ月半、雑魚寝状態でした。
その中、5月24日にオイスカと出会い、
海岸林再生に我々も協力すると、はっきり伝えました。

写真右上の仙台空港東側(右)が北釜地区

担当の吉田です。
今年は地方出張で22県に赴きましたが、その際には、極力時間を作り、
論文などをにわか勉強をして、ご当地海岸林を視察しています。
今回は北海道森林管理局の素敵な方に、
とてもいい資料をいただき、空路は熟読しました。

最前列より300m地点


地吹雪の中、オイスカ北海道支部の役員さんと二人、石狩川河口に。
そこから小樽市東部まで全長20km。
森の平均の幅は500~600m、広いところでは800m。
総面積653haの天然カシワの海岸林があります。
こんなに大きなカシワ林は見たことありません。
港の近くですから、船荷を積んだ大きなトレーラーがカシワ林の
脇を通りますが、それすら小さく見えました。
 
 
 

葉によって冬芽がちゃんと守られている。


カシワの木に関する面白い話は、こちらでも触れましたが、イメージするに「かしわ餅」「子どもの日」⇒「縁起物」「葉っぱが落ちない」⇒「代が途切れない」、「子孫繁栄」
カシワは冬芽を守るために、冬に落葉しないそうです。
浜に出ると、強風で砂が頬を叩き付け、さらには砂丘を越え、葉をつけたカシワ林に及び、砂は静止します。落葉樹では潮に強いとしても、防砂防風効果は半減するでしょう。
カシワの実は、厳しい冬を迎える動物にとっても貴重な食源でもあり、古くから人間の生活や産業に不可欠だったことでしょう。
「札幌までは少し離れているけど、大きな意味では札幌まで守って
るのかもしれないね。住んでいても知らなかったよー」
オイスカの役員さんの言葉とともに、まさに保安林という印象が私には残りました。

最前列より600m地点。海岸に近づくにつれて、樹高が小さくなるのはクロマツ海岸林と同じ


潮風と砂のストレスから、最前列では何年たっても大きくなれない。

念願の・・・

2012年12月13日( カテゴリー: 本部発 )

本部・広報室の林です。
しつこく、しつこく、さらにしつこく言い続けると、ちゃんと願いがかなうんだなぁ~と思ったお話です。
12月7日、名取の現場でインターンをしていた秋山君のトークイベントが行われました。

地元の皆さんにとてもかわいがってもらい、貴重な体験ができたと語ってくれました。
いえ、私の願いをかなえてくれたのは、キナ君ではなく・・・。
このイベントに来てくれたANAすかの皆さんです!
10月に行われた仙台空港空の日のイベント用につくった「ANAすかオリジナル松ぼっくり」、
記念にひとつ欲しかったのですが、当日来場者が多く、全部配ってしまったのだそうで・・・。
残念だなぁ~、欲しかったなぁ~としつこくしつこく言い続けていたら、
2ヵ月が過ぎたこの日、どこから出てきたか、とうとう私の手元にやってきたのです
見てください!!

クリスマスプレゼントのようでうれしいです!
もう一度おさらいすると、この塗料は、ANAの飛行機に使われているもの。
そしてリボンは飛行機のカーペットを裂いたもの。
完全ANAオリジナル松ぼっくりなのです。
きれいでしょ~。

「事務所に飾ってください」といわれたのに、自分のパソコンの上に飾らせていただいています・・・。
ANAすかの皆さん、ありがとうございます!!

井上さん


活動報告会や、現場での視察会に、いつも足を運んでいただいている
川崎の井上さんからメールをいただきましたのでご紹介します。
******
これほどのご尽力、関係の皆様に深く御礼を申し上げます。
11月14日(土)の川崎市民アカデミーフェスタでの、
「海岸林再生プロジェクト」写真パネル展示と募金に関して報告をいたします。
当日、私は娘の結婚式のため、準備のみで説明に加われず、仲間にお任せしていました。
あいにくの雨で、フェスタ全体の入りは今一だったようですが、
それでも我々の展示には延べ70余名の方が来場いただきました。
後日、「海岸林のパネルが一番見られていたよ」。太田猛彦先生(東京大学名誉教授・
林野庁「通称:海岸林再生検討会」座長)から声をかけられました。
先生自ら、見学者に説明をして下さったようです。うれしい限りです。
今後も他のイベントに、私の作った「海岸林再生プロジェクト支援」のパネルが
展示されることになりました。
  川崎市民アカデミー、早野聖地公園里山ボランティア 井上文雄

パネル展示


太田先生(右から2人目)が来場者に説明


教室前の常設パネル。ここにイベントで使った写真を追加します

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