昨日に引き続き秋山キナです。
会ったことがある方はお気づきかもしれませんが!
久しぶりにブログを書きます。
昨年、名取事務所でインターンをしていた大学生の秋山キナです。
先日行われた視察ツアーの機会に、10ヵ月ぶりに名取に行きました。
ほんとうはもっと早く行きたかったのですが、時がたつのは早いもので、気がつけば10ヵ月もたっていました。
10ヵ月もたつと変わるところも多いですね。
田畑の除塩作業が進んでいたり、危険区域に指定された家の移転がよ・う・や・く決まったり。
名取市の災害廃棄物処理場はまもなくその役目を終えると聞きました。
2012年の春に稼働をはじめて以来、休まず動きつづけてきたようです。この処理場がある閖上は、津波の被害を受け、今は更地になっています。家の灯りも街灯もなくなった夜のまちには、処理場だけが煌々と輝いています。数キロ先からでもわかるその光は印象的でした。
その光が消え、災害廃棄物の処理も終わると、復興も新たなフェーズに移っていくのかな、と感じました。
10ヵ月たっても変わらないところもありました。
マツの苗は変わらずよく成長していました!
再生の会の方々は、変わらずおしゃべりで、元気でした!
(そして僕にも就職が決まるという大変化がありました!!)
名取事務所の菅野です。
昨日の続きです。
地元では今時期になると松林にキノコ採りに行くんです。
地元住民にとっては、松林はキノコの倉庫なのです。
なんのキノコかって・・・
・・・それは、アミタケです!
ゆでると赤くなり、大根おろしで食べるのです。
塩漬けにしておいて食べたい時に水に戻して食べたりもします。懐かしい!
そのほかにもキンタケ、ハツタケ。
キンタケはご飯に、ハツタケは汁物に。海岸で採れるキノコは砂や虫が付いているので、水に唐辛子を入れ一晩つけてから調理します。
海岸の松林は、私たちにとっては防風・防砂林であり、さらには、食の宝庫でもあったのです。
無くなって初めてわかると言いますが、早く元に戻ってほしいと願うばかりです。
地元の私たちには当たり前なのですが、浜でキノコが採れることはあまり知られてなかったのですね。
私も採りものが好きでよく行ったものです。松の葉に隠れているキノコを見つけるのが面白いのです。
山とは違って、迷うこともなし!
新聞記者さんの質問で、楽しかった日を思い出しました。
菅野レポート その2 新聞社の取材を受ける編
名取事務所の菅野です。
9月4日、朝日新聞の方が取材のため、育苗場に来られました。
大友英雄さん、大友祐一郎さんが対応。昨年の4月から今に至るまで、そして、今後の活動・夢などを聞いて行かれました。
(9月6日の宮城版に「海岸林復活へ伸びろクロマツ」と記事が掲載されました。そこには地元の野菜農家らがこの地で野菜づくりを続けるためになれない「林業」に取り組んでいるといった視点で活動が紹介されていました。小見出しには「名取の農家、手探り『林業』」とありました)
もちろん、インタビューだけではありません。苗も見ていただきました。
苗畑では、初めて見る松の苗に「かわいい!」
余談になりますが、ここである食べ物の話になりまして・・・・・・。
かつて松林があったころの話を地元の人に聞くと必ず飛び出す話題なのですが。
記者の方
「え? キノコが採れたんですか?」
英雄さん
「しゃあねがったのすか。地元の人は雨上がりの朝はやぐに行って取ってくんのしゃ」
(知らなかったんですか。地元の人は雨上がりの朝早くに行って取ってくるんだよ)
さぁ、ここから始まるいつまでたっても終わらないキノコのお話はまた明日。
名取ではモザイクの森は作らない!
本部・広報室の林です。
先週、現場視察ツアーで見てきた中で感じたことをご報告します。
昨年秋以降、仙台市荒浜地区を繰り返し訪問し、
公共工事の植栽箇所や14の民間団体による植栽箇所も勉強させていただきました。
その植栽手法は実にさまざま。写真1は、紙のボックスに入れた苗3本を一緒に植えていました。北海道でも使われている技術だそうです。
写真2では根元にチップを敷いていました。夏に海に行くと砂浜は裸足では歩けないほど高温になっていますよね。そんな高温から苗を守る働きのほか、乾燥や飛砂を防ぐ役割も担っています。
写真3では、簡易的なものではありますが、防風・防砂のための小さな柵が立っていました。
このようにそれぞれ団体ごとに工夫して植栽、管理がなされていました。
そしてそこには「●●の森」というようにその団体の名前がついた看板が掲げられていました。
ここで感じたのは、担当者の吉田がいつも口にしている
「海岸林ではモザイクの森を作りたくない」
「“オイスカの森”ではなくて“名取市民の森”をつくるんだ」
ということの妥当性。
ほんの2haにも満たない土地に14もの団体が(しかもそのうちの1団体は植栽を終えていませんでした)
それぞれのやり方で森を作ったらモザイクのようになってしまいます。
憩いの場となる内陸の市民公園での記念植樹規模であるならそれでいいでしょう。
しかし、人々の生活を潮風や飛砂から守るための「インフラ」である海岸林がそれでいいのかと疑問を持ちました。
ここは海岸から600m以上離れた場所。
最前線ではないのだから、許容範囲なのかもしれないし、さまざまな事情があったのかもしれません。
ただ、もっと気になるのは、他の地域から来た人たちが“自分たちの思い”でそれぞれに作った森を
地域の人たちが愛着を持って長く見守ってくれるのかということ。
オイスカでは、たくさんの企業や団体の皆さんにご協力いただいて
海岸林の再生活動を進めていますが、皆さんには企業名を冠した森にはならないということ、
そこは「名取市民の森」となることをご理解いただいています。
地域の人たちが植え、育んでいく森でなければ
何百年という年月、そこに存在しないのではないかと思うのです。
オイスカが名取市の海岸全体に相当する100haの再生を
「名取市海岸林再生の会」とともに担いたいと考えるのには
「モザイク」ではない「名取市民の森」を作りたいと考えているからなのだということが
とてもよく分かる現場視察でした。
最後にもう一つ印象的だったこと。
「1haでできることと、100haでやらなければならないことは同じではない」
という林野庁の方の言葉。
今回視察した植栽地で各団体が取り組んでいる手法の中には、
クロマツの生育にとって望ましい環境を作り出しているものもありましたが、
それを100haの植栽で同じようにできるかといったらコストなどの面で現実的ではないものも多々あるのです。
人や資金、資機材、あるいは期限など限られた条件の中で最高のクロマツの森ができるよう
今後も国や県、市、そして市民との対話を重ねながら前に進んでいきたいと強く思いました。
菅野レポート その1 育苗農家視察編
名取事務所の菅野です。
9月に入り厳しい暑さもなくなり、過ごしやすいこのごろです。
8月末、育苗の勉強のため、近くの種苗組合員2名の方の圃場を
海岸林再生の会のメンバー4人で見学にいきました。
場所は蔵王町(ここから30分くらい)山の上です。
伸びの良いにびっくり(下写真左)。肥料のやり方、水のやり方などを聞き指導してもらいました。
また、コンテナの下にビニールを敷いているため(下写真右)根が土に通らないようになっていました。
うちの育苗場では、土の上にそのままコンテナを置いているため、下の穴から伸びた根が、
土の中にまで伸びてしまっていますが、この方法により断根されるのだそうです。
こちらの育苗場では、活着率はあまり良くなかったそうですが、伸び方が順調とのことでした。
まだまだ手探り状態での育苗です。
これからもいろいろと勉強しながらいい苗を育てていきたいと思っています。
今日は視察ツアーが開催されました!
本部・広報室の林です。
日頃ご支援いただいている企業の担当者の皆さんと共に視察ツアーに参加しました!
オイスカ会員やスタッフを含む36名と共に仙台駅からバスに乗り込み出発。
車内でも現場でも林野庁・東北森林管理局の方が、宮城の海岸林の歴史や
その復興、そしてそれにまつわるお話を聞かせてくださり、とても勉強になりました。
始めに視察をしたのは仙台市若葉区の荒浜地区の植栽地。
ここは、14の民間団体が仙台森林管理署との協約を結び、植栽しているところです。
ここで見て、感じたことに関してはまた後日ご紹介しますが、伺ったお話で印象に残ったことをひとつ。
この植栽地は荒浜小学校のすぐそばで、校舎がよく見えるところにあります。震災当日、小学生約100名が校舎の上階に逃げ、助かったそうですが、町が津波に飲みこまれていくのを目にした子どもたちの心には大きな傷跡が残ったようです。
海岸林の再生に向けた第一歩となる植栽の日、地域の人が参加する中、子どもたちの姿はほとんど見られなかったそうです。彼らにとっては、戻りたくない場所になってしまっているということが心に刺さりました。

やはり知識や技術のある方がやらなければいけないのですね。
スコップで少し掘ると水がじわ~っとしみてくるところもあるそうで、日頃聞いている「地下水位の高い所だ」という話が実感できました。
ここで植えられていたのは「コンテナ苗」でした。
来年以降始まるであろう植栽作業がイメージできました。
オイスカと名取市海岸林再生の会の育苗場に行く前には防潮堤と海岸林造成する前の盛り土工事の現場も視察。
名取市の海岸線は約5㎞。そのすべてではありませんが、海岸線に沿って続く防潮堤と盛り土の間を車で走り、「あ~ここにクロマツを植えるんだ」と気の遠くなる思いがしました。

草取り作業をしようというやる気に満ちたその姿に感動したのもつかの間、あまりに集中して作業が進むので、翌日の「草取りボランティア」用の草がなくなってしまうのではないかと心配になる・・・というほど皆さん熱心に作業をしてくださいました。
本当に皆さん、ありがとうございました!
夜の懇親会でも、各企業さんが取り組んでいらっしゃる復興支援活動などのお話や会社としての社会貢献に対する思いを伺い、とてもいい時間を過ごすことができました。
素敵な方たちと一緒にこの海岸林の再生に取り組めることを本当にうれしく、ありがたく感じた視察ツアーでした。
2008年 岩手・宮城内陸地震の爪痕
先日岩手・宮城内陸地震の「震災遺構」について紹介しましたが、
今日はその爪痕について(本当はこちらを先に紹介するべきでした・・・)ご紹介します。
岩手県一関市から栗駒山に向かって車で1時間、ここを通りがかる人は、かつて大変な何かが起こったことは一目でわかります。
2008年に地震は発生しましたが、日本最大、世界トップ級といわれる無数の地すべりなどが、栗駒山周辺で起こりました。
ズタズタになった山肌の航空映像が皆さんの記憶にもあるかもしれません。
私は当時林業会社に勤めていましたが、翌週から我々労働者は、この話題で持ちきりでした。でき
「平日だったら山の労働者も亡くなったかもしれない」と。
関東大震災でも、丹沢は何千か所とも言われる無数の山地崩落が起こり、
その爪痕は今でもたくさん残っています。
深層から崩壊し、植生が回復しない場所に、林業の仕事を通じて遭遇しました。
ここ栗駒山では、東日本大震災の宮城南部と同様に、甚大な被害からの復旧のために、国有林だけでなく、あらゆる森林所有者に関わりなく、国が中心となって事業を進める「民有地直轄治山事業」が行われました。
「10年かかる」といわれた大事業を前倒しで完了したと、しばしば聞きます。人材難、資材難が今後も続くだろうこの東日本大震災でも、最後はきっと前倒しになると思いたい。
「復興が遅れている」という指摘は現実かもしれませんが、聞くたびに悔しく思うこの頃です。
最前線で任に当たる人たちの「今に見よ」と声なき声も聞こえます。
えりもの緑を守る会
また先月行った襟裳岬の話ですが・・・。
私たちには「名取市海岸林再生の会」がありますが、2020年に海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画が終わったら、「名取市海岸林を守る会」に名称変更し、運営形態を新たにすることを念頭に置いています。
今回の襟裳岬訪問の目的は強風対策などの視察はもちろんですが、「えりもの緑を守る会」の運営や地元と行政の協働について学ぶことも大きな目的の一つでした。行政マンや森林組合の主軸の方が、見ず知らずの我々に時間を割いてくださいました。
一言で言って、「先人の取り組みへの深い敬意」「行政と民間の一体感」という非常に強い印象を受けました。プロ中のプロが一生懸命説明してくださる熱意に、直接触れることができたのは大きな収穫です。これが核心部分ですから。人を残すという事が最も難しいことだと思うのですが、長い年月をかけて若い世代に受け継ぎ、また、皆で協働して取り組んでいるからこうなるのでしょうね。最高のお手本でした。
「何もない」と歌われた襟裳をはじめとする日高南部地域に、長い協働の結果、民有林と国有林の仕事が創出され、森林組合は半漁半林、45名もの雇用をもたらし続けています。地元経済における存在感も大きいことでしょう。また、森林組合が各方面に対する潤滑油や接着剤のような役割を果たしている印象も受けました。(私、森林組合に入りかけたことがあったので、余計に嬉しく)
「えりもの緑を守る会」は町役場が事務局となり、漁協や森林組合、地元の各団体が加盟し、国有林とは「協定」を結んで地道な活動を続けています。あくまでも「地元が主体」という明確な姿勢の一端も垣間見ました。
年に2回、植樹祭と育樹祭にはそれぞれ、
「浜の父さん」「浜の母さん」たち、住民の5人に1人が参加するようです。
要するに各世帯から一人。すごいことですね。
かつて自分が植えた木を見るのが楽しみなのだそうです。集合すると「勝手に作業をはじめて」しまうようなところがあると。ですが、作業が的確だから、進行する側は苦笑するしかないという様子が目に浮かびます。「ちょっと集まり過ぎ…」という裏方さんの声も聞こえてきそうです。
一日にしてならず。並大抵の事業ではないですね。
お世話になった林野庁北海道森林管理局、日高南部森林管理署、えりも治山事業所、えりも町役場、ひだか南森林組合の皆さま、ありがとうございました。いつか、海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画に関わる関係者にこの姿を見せたいと強く思っています。