苗の処置、種の処置

2015年4月15日( カテゴリー: 現場レポート )

今日4月14日の名取事務所では、
「今年は雨が多い。今までこんなことない。植栽現場も根腐れ寸前。
風も西からの蔵王おろしの寒風・乾風でなく、東風が多い」という話が朝から何度か。
今晩からまた雨の予報。
育苗場における植栽前の苗木の出荷準備は、先手必勝で、順調かつ万全。
再生の会は3人以外、今日はお休みと思っていたら…
昼前、宅急便でもなく、郵便でもない、見慣れぬ4tトラックが。
ん?なんか頼んだっけ?
今年度50,000本植栽のうち、将来の松くい虫の被害の確率が高い内陸防風林用に、
意図的に「購入」した、岩手県産(二戸市にて育苗)マツノザイセンチュウ抵抗性アカマツが
なぜか一日早く納品。(この程度は序の口ですが)
4,200本が段ボールに入ってくるので、即開封。熱や蒸れから苗を開放します。
急遽、お休みだった再生の会メンバーに連絡し、8人が午後から参集。根の剪定と仮植。
8人は暇じゃないんです。自分の野菜もやってます。
ここでモタモタしていたら、苗は使い物にならなくなります。
だから「半日だけ~」とお願いし、即刻来てくれました。ありがたいことです。
お昼には宮城県農林種苗農業協同組合(全国の会長でもある)の太田清蔵組合長が来訪。
組合員指導のため、朝暗いうちにご自宅を出て、県内幾つもの種苗農家を
ものすごいスピードで巡回指導します。年に県内を何周もまわります。
研修も会議も毎月1回以上あります。
この育苗場を2011年11月26日に決めた時も、2回も立ち会って下さいました。
おもむろに土を口に含んで「大丈夫だ~」と言われました。
80歳を超えるご高齢ですが、青年のように元気です。夜は18時にお休みになります。
昼過ぎから北海道のオイスカ会員と、オイスカの法人会員でもあり、
当プロジェクトにも大きな支援をいただいている労働組合「JR連合」幹部の視察対応。
だから時間がなく、組合長とはあまりお話しできませんでしたが、一つだけ質問しました。
吉田:
「宮城県石巻市の網地島の種を採った経緯を教えていただけますか」
組合長:
「数十年前、松くい虫で、この島の松がものすごく被害を受けた。
宮城県は、先行して開発されていた九州産のマツノザイセンチュウ抵抗性クロマツを
1haあたり10,000本×20ha植えたんだ。12月に運んできて、
3月まで宮城の寒さ に畑で慣らせてから植えたんだ。植えて15年たってるからね。
種が採れるんだ。すごく強いんだよ。これにマツノザイセンチュウを接種しても75%生き残るんだ」
佐々木統括:
「林業種苗法の観点から、県の母樹林からの採種ではないので、「抵抗性」とは呼べないんだけど」

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電話をかけているのが太田組合長。「ちゃんと粒数を把握しないとコンテナの過不足出 ちゃうからね」(佐々木統括)


今年は、宮城県、岡山県、香川県産抵抗性クロマツ、宮城県網地島産クロマツ、宮城県産精鋭樹クロマツと、たくさんの種類を4月27日から「播種」します。
遅れていた網地島産も揃い、冷蔵庫での保管から一度出して、20gで何粒あるか数えます。
事務員の菅野さんが数えました。みんな大きさが違うんです。網地島はあきらかに小さい。ちなみに今年は播種しないアカマツは、もっと小さい。育てるのも3年かかります。
そして参考まで、2年後に植えた後のモニタリング調査も、種類ごとに調査地を決めます。
 
午後は、アクシデントがありました。
北海道の皆さん、JR連合の上村さん、佐々木統括にご迷惑をおかけしました。
若生技研の皆さん、ありがとうございました。僕は疫病神だな。申し訳ない…
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上村さんが地元の皆さんとコミュニケーション始めたのを確認して、私はアクシデント解決に


アクシデントにも関わらず、アカマツの緊急処置は、
再生の会の8人とJR連合の上村さんのおかげで、半日で無事完了。
明日につづく・・・・・・

週末は東京に帰りました。
息子は「明日の10:30、東京に地震が来るって噂が流れてる」と。
朝シャンして、多めの食料や飴玉、ティッシュを真顔で持って、部活に行きました。
4月12日(日)インフォメーション・ブログで紹介してきた
FM東京、愛知、大阪、福岡で放送の「三菱UFJニコスpresents 松任谷正隆 DEAR PARTNER」は、
家族に話せば「自慢?」と言われるに決まってるし、自宅駐車場の車の中で、
オヤジの悲哀を漂わせて聴きました。
終了後、「聴いたよ。びっくりしたよー」と速攻で電話がかかってきました。
息子の少年野球同級生親父軍団に、仕事の話は全くしないけど、1,000人に褒められるのと
同じぐらい嬉しかったです。少し前も、リュック背負って家に帰るとき、コンビニで別の親父と
バッタリ会ったら、レジに連れていかれ、「ちょっと待ってろ」と。
アサヒビール(長年のオイスカ会員・海岸林も支援)のスーパードライ4本持ってきて、
「俺は何にも出来ないんだ。俺の気持ちだから~」と。彼は払ってくれて、そのまま病院の夜勤に。
東京の地元にそう想ってくれる仲間がいるのは素直に嬉しいです。
番組のホームページにも紹介が出ていました。
http://www.tfm.co.jp/partner/
松任谷正隆さんと中井美穂さんは、1時間の最後までコメントしてくださりました。
たまたま自分の名前が前面に出ましたが、多くの皆さんの後押しや、オイスカという職場が
思う存分やらせてくれていることや、非常に大きなチャンスを下さった三菱UFJニコスの皆様に
あらためていろんな人のこと考えながら、暗闇の中、名取に戻ってきました。
事務所のプレハブの隙間には、スズメが何匹も寝ています。
階段を上がってくると、腰抜かして狼狽えて逃げ回ります。
寝ぼけているから、階段の屋根や窓ガラスにぶつかります。
去年の春は、小雀が落ちてきました。
いつもゴメンね。

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背景は息子でなく、僕と性格の似た娘


テレビをつけると蔵王山に噴火の可能性があるそうです。
高校生の「LINE」の噂とは違い、こちらはニュースになってました。

結婚式

2015年4月13日( カテゴリー: 本部発 )

11日、ANAすかメンバーの結婚式にご招待いただきました。
(ANAすか隊についてはコチラ→→ソトコト  隊員ブログ
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同じ全日空グループに勤務してはいるものの、違う会社に所属する二人が
知り合ったのは、グループで支援している「海岸林再生プロジェクト」の
ボランティア活動への参加がきっかけだったそう。
一緒に活動する仲間たちがつくったお祝いビデオには、
プロジェクトを支援するためにANAすか隊で企画した各種イベントの
準備から当日に至るまでの二人の姿が映し出されていました。

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仙台空港でのイベントでANAすか隊の集合写真。ここにもちゃんと二人の姿があります


活動を通じてこんな素敵なカップルが誕生したことがとてもうれしかった!!
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2人はなぜか毎年年末のオイスカ本事務所の大掃除のお手伝いに来てくれます。昨年は大掃除後の忘年会にも参加。あるスタッフの誕生日祝い用に準備されたケーキが登場するも、本人は風邪で早退していたため、「新婚カップルだから」とケーキ入刀をさせられていました。
オイスカで準備した二人へのお祝いは、こちら↓
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閖上出身のイラストレーターico.さんが描いてくださった今年の植樹祭の案内チラシ用イラスト。
(※植樹祭は宮城県民、名取市民向けの行事ですので、全国での募集は行っていません)
プロジェクトにかかわる方たちをたくさん描いてくれたのですが、その中にふたりを描きこんで
もらいました。ケーキを切っているこの写真を参考に描いてもらいました。
どこにいるか分かりますか??
お仲間の皆さんからは「似てる~~~!」と好評でした。
H君、Tさん、おめでとうございます。
また現場にも来てくださいね~~~!!

140517植栽後のお世話にボランティアが年間1,500人×8時間

植栽後のお世話にボランティアが年間1,500人×8時間.


150124名取市被災海岸林への植栽完了 仙台空港方面を望む

名取市被災海岸林への植栽完了 仙台空港方面を望む


実績の要点をお知らせします。
・雇用数 1,402人 (2,247人)
・植栽面積&本数 15.67ha、80,182本
・現在育苗中本数 136,250本
・現場体験&視察 1,941人(6,122人 海外54ヵ国181人を含む)
・報告会回数&聴講者 34回 4,692人(105回・18,841人)
・国内メディア紹介 40回 (155回 ほか海外61回)
・写真展開催 14回 (52回)
*総寄附額(約4億円)・決算は決算理事会を経て公表します。

今日4月9日は12人出勤。
「お給料を持って帰ったら奥さんが喜んだ」と話しながらコーヒーを飲む。
9時15分、苗の出荷責任者、森幸一さんの掛け声。
「よし、稼ぐぞ(宮城弁:働くぞ)」
震災前と比べた収入は50%減という実情だし、時給もイイし、
働くモチベーションは収入面から見ても高いと言っています。
仕事は露地蒔きのクロマツ苗の掘り取り、剪定、仮植。
根切りは3月31日に済ませていました。
第2育苗場の分の掘り取りはすべて終了し、第1育苗場で仮植済み。
去年に比べて「菌根菌」の付着が少ないけど、

「どうだ吉田君。イイ苗だろ~」

「どうだ吉田君。イイ苗だろ~」


みなさんはあまり気にしていないよう。
太さ抜群のイイ苗が出来ました。
明日は金曜日なので休み。
したがって、予想通り「今晩、花見やろう」と。
20人来るって。
花見って、タンポポが一つ咲いているだけですね~
市内や仙台と比べ、現場はほんとに寒いのです。
岩手県から寄附者の方が急きょ来訪し、
現場を案内して帰ってきたら、早速「花見」は始まっていた。
掘り取り・根の剪定・仮植はすべて終わらせてしまった!!
今年はあきらかに、去年以上に先手先手で進んでいる。
終わらせたから花見。やることがカッコいい。
私はまたもやご無礼して、松島で広葉樹植栽について打ち合わせ。
宿はいつもの霊泉亭(一泊朝食付きで4,500円)。
市役所では明日春祭りでも、うちの現場はこのタンポポしか咲いていない。

市役所では明日春祭りでも、うちの現場はこのタンポポしか咲いていない。

内陸防風林の毎木調査

2015年4月9日( カテゴリー: 現場レポート )

今日も冷たい東風。今年の春は西風の蔵王おろしより、東風のヤマセが多い。
秋に植栽したクロマツは、寒さに耐えかね、東側の葉が赤くなっています。
佐々木統括と私は、内陸防風林の毎木調査。(つまり一本一本全部)

育苗場の横も、もとは防風林(10m×128m)がありました。

育苗場の横も、もとは防風林(10m×128m)がありました。


名取の沿岸にある内陸防風林(樹齢65年)は、被害程度8割ぐらいでしょうか。
したがって、少しは残った木があります。
もちろんそれは温存した上で、何本植える必要があるのか、「根拠」を求めるのが目的です。
第一育苗場東側、海岸との間には、幅7mの防風林が3列(500m、900m、1km以上)  

第一育苗場東側、海岸との間には、幅7mの防風林が3列(500m、900m、1km以上)


森林簿(森のデータ台帳)から、一筆(森林の住所番地)ごとの面積を把握。
項目は、樹種、径級(胸高直径)、樹高、上層(高層)を占める木すなわちクロマツ・アカマツの本数、品質(木の状態など)を野帳に書き込み、そして立木全数を把握します。
私は胸高直径を測って読み上げ、佐々木統括は樹高・品質を見定めながら野帳記入。
上層木の平均樹高と樹齢と、密度管理表(樹種・樹齢に応じ、haあたり何本立木があるのが適正かを把握するグラフ)から、残った木が占める面積をもとめ、植えなければいけない面積を割り出し、植栽本数を決めます。
「だいたい何本」とテキトーじゃありません。
内陸防風林は海岸林ではないですが、防風が目的です。
防風保安林にも指定されています。共有林です。
海岸林と同様に、普通の1.6倍の本数が必要と考えています。
植栽樹種は、クロマツよりも松くい虫に強い、マツノザイセンチュウ抵抗性アカマツ
(岩手県産)。また、地元からの要望で、林縁にツバキ(1.3m間隔)を育てます。
将来は、上層にクロマツ、低層にツバキで一層の防風効果を持たせます。
内陸防風林用に5,000本程度育てる「気仙沼産のツバキ」の種の第一陣も到着。

昨日から始まった大阪マラソンのランナー登録。
早速オイスカの会員さんが名乗りを上げてくださいました!
http://japangiving.jp/c/11849
チャリティランナーは、ジャパンギビングのサイトで寄附を呼びかけて7万円を
集めなければなりません。もちろんこのお金は「海岸林再生プロジェクト」への
寄附となるものです。ぜひ、ランナーのチャレンジに対する応援という形で
プロジェクトへのご支援をいただければと思います。
もちろんランナーとしての参加をしたい!という方も大歓迎。
今年は30名を募集する予定です。
チャリティランナーもランナーを応援する人も大募集中です!

名取市閖上(ゆりあげ)の海から1kmほど内陸には、
大正8年に人の手で作ったと「日和山」いう被災地を訪問する人が
みんな見に来る小さな築山があります。標高は6.3mとのこと。
閖上で漁業を生業にしている人は、日和山から海の様子を見たとか。
震災後ここに行ったとき、日和山の上にあった石碑は、8.4m高の津波により
山の下に落ちていましたが、気に留めることはありませんでした。
2ヵ月前の河北新報の全面特集に、
東北全域には明治以降の津波の石碑が300基以上あるという記事がありました。
私自身は岩手県田老町、塩竈市で見たことがあります。
田老町の石碑には、津波のことを「海嘯」と刻んでありました。
ちなみに、岩手のほうでは津波のことを「よだ」と呼んでいたそうです。音の響きが気味悪い。
その記事には、名取では閖上にあると書いてありました。初めて知った…
そして、もしやと思い、見に行くと、昭和三陸大津波を記した石碑でした。
「震嘯記念」 地震があったら津浪の用心

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山の下の3つの一番左。撮影:2011年6月9日


昭和8年3月3日午前2時30分 突如強震あり 鎮静後約40分にして異常の音響とともに怒涛○○し来たり水高10尺(約3m)
名取川を遡上して西は○○○に到り 南は貞山堀広浦江一帯に氾濫せり
浸水家屋20余戸 名取川町裏沿岸在りし30トン級の発?動機 漁船数隻は○原○の畑地に押上げられ小艇の破○せられたるも ○○からざりしも 幸 人畜には死傷なかりき
県内桃生 牡鹿 本吉の各郡および岩手青森両県地方の被害甚大なりしに比し軽少なりしは 震源地の遠く金華山の東北東約150里沖合に在りて 涛勢の牡鹿半島に遮断せられしその余波の襲来にすぎざりしと 河口の洲丘および築堤の これを阻止したるとに因るなり震災の報を一度天聴に達するや 畏くも天皇皇后両陛下より御救○として御内幣金を御下賜せらる聖恩の宏大なること ○に恐縮感激に禁ぜざるところなり
○うに天災地震は人力の予知に難きなるをもって緊急護岸の万策講ずべきはもちろん 素用心を怠らず ○に○ずる覚悟なかるべからず ここに刻してもって記念とす
昭和8年11月3日
閖上町長 渡邊卓郎 蒙額
従七位勲八等 加藤忠蔵 撰文
赤松喜一郎 書
宮城県本吉郡志津川村 石工 阿部清蔵 刻
※敢えて、常用漢字を使い、カタカナはひらがなに、漢数字は普通の数字にしました。
しかし分からない字が多すぎる…
『そもそも「石碑」というものは明治時代から一般化した。
津浪に関する石碑には、「記念」などと、今では違和感のある表現が使われている。
石碑の言葉の使い方が、まだ発展途上であることがわかる』
という意味のことが河北新報に書いてありました。
また、随所に石碑はあっても、その存在自体も風化し、忘れられていたのも事実のようです。
それはそうと、名取事務所からすぐ、広浦の湿地帯に
今も人知れず建っている「愛林碑」もそうですが、復興事業が進み、
その周囲の環境が整うなかで、これこそ震災遺構とされるでしょう。
日和山の上にあった碑が、波の圧力で飛ばされた事実が分かるように残されると思います。
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左隣に一つ増えた。海の近くなのに「山神」とある。春になると山から下 りてきて「田の神」になる信仰?


【余談】
名取市内の石碑についてもう一つ。
うちの事務所から1km南、仙台空港のすぐ北側、第1育苗場班長の大友さんたちの小松菜ビニールハウスのすぐ向かいに「国土緑化」という石碑が、津波で100m流されて倒れていました。佐々木統括と見つけて、上記のように記録しましたが、ある日突然、なくなっていました…誰も行方が分からない。
道路から近いため、きっと、誰かに持ち去られ、売り飛ばされたのでは。
昭和38年全国学校林コンクール最優秀賞の記念碑なのですが。(ちなみに前年は優秀賞)少なくとも100万円はするでしょう。

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「高校生の孫の入学祝いを買わねーと」(ご本人)


今日は4月2日。明日あたり仙台の開花宣言らしい。
でも、うちの事務所は津波が来た場所。
花見どころか、花の木はすべてなくなっています。
仕方ないので、今年になってなぜか植栽現場の盛土に生えてきた、ふきのとうとか、たらの木でも愛でておきます。
今年は冷たい「やませ」のような風吹く日がとても多いです。
仙台市内と気温が全然違います。
現場は、彼岸明けからのコンテナへの土づめを、トップスピードで今日の昼前に早くも終えてしまい、
わたしびっくり。午後は、4月21日から植え始める2年生苗の掘り取り・仮植が始まりました。
今日は2,500本掘り取り・仮植。10人工。
先月分の給料が、いつものように早速払われて、みんな嬉しそうでした。
「毎月、ピシャッと支払い続けるのが大事」と統括はいつも言っています。
この原資は、もちろん全国からのご寄附です。
今日は佐々木統括との雑談に熱が入って、どさくさに紛れて、前から考えを擦り合わせたかった、植栽完了後30年の本間伐まで、シュミレーションしてしまいました。
私にとっては襟裳岬での視察がまた役に立っています。
今年は組織運営の点で、いつか佐賀、秋田などに再度学びに行きます。
事業が順調に進めば、2033年までの「つる切り・除伐(ニセアカシアなど不要な木を伐る)」だけでなく、植栽後30年、2050年まで続く本間伐の担保もできそうです。
まず今年度は、100年先に被災地で随一の海岸林にすべく、ポスト2020の計画第1次案をと思います。
植栽完了後14年は「つる切り・除伐」
植栽完了後20年~25年は「本数調整伐」(あっても意味がない未成熟・形状不良のクロマツを伐る)
そして、植栽完了後30年、その先の将来のすべてを決めてしまう「本間伐」(15%伐)時期が全被災地で到来し、一斉に間伐経費が必要になるのです。30万円/ha程度でしょう。そこには「東日本大震災復興支援」としての復興交付金も、世間の関心も支援もないと思います。
我々はそこまで見越して、実施する体制を整え、実行に移せる資金などの地力を2020年までにつけたいと思います。
もし30年先(75歳)も元気だったら、また与作に戻って、一日100本ぐらい伐りたいといつも思ってました。
私はチェーンソーですが、よかったら皆さんも一緒にノコギリでやってみませんか?
入りそめて 国ゆたかなる みぎりとや
千代とかぎらじ せんだいのまつ (伊達政宗公)
むかし仙台は、千代と書いていました。私たちもプロとして100年先、1000年先の豊かな国を想像して頑張ります。100年先に「名取の選択はアッパレ」と言われるように。

「畑入り」の朝

2015年4月3日( カテゴリー: 現場レポート )

彼岸明け、3月25日、18人、集合。(みんな、いつもより30分早いんじゃ??)
「佐々木統括の訓示を」。訓示ではないですが、いつもやります。DSC_0005
佐々木統括:
「基本を思い出してくれ。今日は初日だ。慌てないでくれ。競争じゃない。
外は風が強い。ビニールハウスの中で温かい中で作業してほしい。だけどハウスの中は埃っぽい。適宜換気を。これからまずコンテナ3,800ケース。
(一人全開で50ケース/日)ボチボチ、ペースを上げてくれればいいんだ。
DSC_0014来週は根切り、そして掘り取り、仮植、根の精製。4月中旬には多雨かもしれない
そして植付も始めねばならない。
4月末には播種。去年と同じように全てを並行してやらねばならぬ。
第一育苗場班長:
「去年は手が間に合わなかったけれど、今年はできれば、俺たちも森林組合と同じときに
同じペースで植付もやりたい。ついていけるかわからないけど。話してみれば、
森林組合もみんな百姓(県内各地からその気の衆が集まります)」
「とにかく、みんなで集まってやろう。みんなで話しながら、笑いながらが、
気持ちが明るくなる。一番疲れない」「集中的に集まろう。早くやろう。」
佐々木統括
「わかるよ。わかる。だけど、生もの扱いだよ」
「春は戦争。とにかく、まずは体に気をつけでボチボチやってくれ」
これが僕らの「畑入り」の朝です。

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