閖上に5年ぶりにクロマツが戻ったが
植栽3日目。
昨日に続き、海からの冷たい風が吹いて、4枚着込んで現場に出ました。
「ヤマセだ」と佐々木統括。
森林組合、再生の会ともに10数人工、合わせて連日20人以上が連携し、
植栽と苗の出荷の日々です。3年目の付き合い。気心も知れています。
もう、ピリピリすることも、神経過敏になることもなく、非常によい雰囲気で植栽が進んでいます。
落ち着いたものです。一同、集中、没頭しています。
昨年までは「3歩歩くと忘れる」とお互い笑いあっていましたが。
「復興事業が進む閖上の一部だけ、先に植栽を進めてほしい」というオファーがあり、
最北部3.25haを計画していましたが、とうとう今日から、閖上港を見ながらの植栽が始まりました。
今週末には終わるかもしれません。
ただ、ここは我々現場監督、森林組合現場代理人ともに、頭を抱えていた場所。
植栽3年。土壌、条件は、まったくと言っていいほど違います。
同じに見えるかもしれませんが。
今日現場に入った職人の感想も含めてまとめると。
・すぐ砂が乾く。透水率が高すぎる。
・酸性土壌ではなく、中性。「ほうれん草を育てるならイイ…」
・砂の目がとても細かく、固相率が高そうだ。15cm地中が転圧したかのように固い。
・「なんでこれからの主風の南東方向に防風柵がないの?吹きっさらし」
・松チップが今年は一部しかなく、一番厳しいこの場所はまったくない。
・活着するまでに小まめに雨が降るとイイな。でも明日はパラパラだろうな。
植栽後、ただちに防風柵を入れていただくよう、当局にお願いしてあります。
微妙な工夫もしました。ほかの対策も頭にはあります。
「傍観者、評論家になるな。知恵を出せ」と常に言われています。
九州の地震のことはみんなが心配しているはずです。
でも、解かりすぎるから、みんなの話題になることはありません。
だからこそ佐々木統括に「えらいことになったな」と言われたのがズシリときました。
東日本大震災だけでなく、2007年の岩手宮城内陸地震の復旧にあたった人たちが、
今日木を植えていた人たちでもあるので。
4月16日、他団体の現場を見て驚きました。
3月まで枯れていなかった3年目のクロマツが枯れている…
1年、2年目ではなく3年目なのに一気に枯れた。
場所によっては、補植されたものが半年もたたないうちに。
補植苗の大きさの選択も誤ったものが多かった。
原因はやはり、三寒四温というように難しい時期。
名取の現場では、乾燥と多湿の両極端の繰り返し。
私は根腐れを最大要因と考えました。
オイスカの現場なので抜くわけにいかないので、想像でしかありませんが、
定点観測地として何度も見ている場所なのでよくわかる。
乱暴な言い方で、オイスカボランティアの努力に贔屓目かもしれませんが、
溝切りをした場所と、していない場所の生育率の差は40倍から50倍。
与えられた条件は同じでも、100本に1本枯れたか、100本に40本枯れたか。
単純なコスト差は、1.4倍。
クロマツは多湿を嫌うことが、あらためてよくわかりました。
気は抜けない。我々の現場も手を抜けば、来年枯れる可能性もあるのだから。
山形県庁の新規採用職員の皆さんには、厚敷き過ぎるチップの除去を予定しています。
昨年は溝切りでした。目的は本質的にだいたい同じ。
理解してもらえるように、上手に説明しなければ。
猛烈な勢いの生長の兆しあり
明日は山形県庁の新人研修45名をお受けします。
その作業内容の最終検討や、助成金報告書作成にあたっての広葉樹約800本の開葉確認のため、
ほぼ終日、植栽・苗出荷チームを離れて単独の動きをしました。
大阪マラソンのトレーニングも常に不足しているので、できるだけ歩いて。
2014年、2年前の植栽地の、「頂芽」(ちょうが)の勢いがスゴイ。
昨日、森林組合の若い衆が「まったく見てない」と言ったので、
「おい、今朝から3回は横を通ったべ!」としずってやりながら、一緒に見に行きました。
ベテランの職人は、取材に来た新聞記者の方に「すごいよ。今年は伸びるぞー。また来てみな」と。
仕事に強い目的意識があるから、1日300本~500本も植え、名取市民でもないのに、
我がこととして言える一言。僕にとっても仕事冥利に尽きる一言を聞けました。
この人工の土壌、場所によっても違います。
クロマツがどう生長するか専門家も「わからない」と言いました。
固相率が高い。土が締まる。「生長が想像以上に低い可能性もある」と。
2015年の植栽地が思った以上に伸びない。
やはり植栽後1年目はかなり厳しいのです。
「溝切り作業」(排水)をせず、滞水にも除草にも対処しないとどうなるか、今日他の場所を調べた。
枯損率が40倍~50倍。という結果が分かりました。
2014年植栽地全域、猛烈な勢いで生長の兆しあり。
遠方から来訪した多くのボランティアの方、無数の寄附者の方に知らせたい。
多くの皆さまのおかげで、「クロマツはこんなに勢いがあります」と。
九州では気が遠くなるような復興の道のりかもしれません。
その励みにはならないと思うが、ここで頑張るのが我々の責務。
復帰してゴメンナサイ。約1ヵ月後にオイスカ・タイランドに渡る予定のTです。
みなさん陰気に…、いやいや元気にされていますか?
今度の渡航では、最北部のチェンライで山岳民族を対象にした地域開発プロジェクトに取り組みます。
その研修の一環として、きわめてマジメに(!)乾燥地植林の技術を学ぶため、
海岸林の現場にお邪魔することにしました。
現場では、いよいよ今日から植栽が始まりました。やはり、作業員の方々の目つきがひと味違います。
これはマズイとニヒル度70%の流し目で臨みましたが、この2週間、神経が弛緩しきった生活をしていたので、
どうしても頬がたるんでしまいます。
約10年前は、南部のラノーンに駐在していました。
そこでは「泥に苗木を刺す」という、片手でLINEしながらでもできそうな植林に慣れてしまっていたので(スマホ持ってないけど)、ちゃんとした土の上で植林するということがとても興味深かったですね。
「植える」という作業ひとつとっても、実に奥が深い。
適切な穴の深さはどれくらいか、穴の底の部分にプラスチックなどのゴミはないか、クロマツの根をどのような方向に穴へ入れるか、土やチップはどのようにどの程度かぶせるのか…、
ちょっとこのへんの記述を詳しく書いてブログの文字数を稼いじゃったけど、まあとにかく、そういう細かなことにまで気を遣って体も使って作業しないとダメなんだかんな、
この先の活着率に大きく関わってくんだかんなコノヤロ、とこういうことなんですね。
というわけで研修生の身の私は、木にも諸先輩方にも気を遣う「お気遣いの植方」として作業をさせていただきました。それなのに頭では理解したつもりでも、実践はなかなか難しい。頭の中で先ほどのチェック項目に「レ」点を入れながら、初心者は初心者なりに丁寧に、それが唯一の生命線なのです。
まあ、及第点くらいの作業はできたかな。
きっと。
いや、そうであってほしい…。
植栽は気も体も頭も使いますよ!
間隔は感覚ではイケナイのです
またブログに寄稿しちゃってゴメンナサイ。海岸林の現場で研修中のTです。
みなさん陰気に…、いやいや元気にされていますか?
今回もまた植栽のこと書いちゃうんですけどね
(それ以外のことが書けるわけないのに)
苗木を植える「間隔」って気にしたことがありますか?
またまたタイ・ラノーンのマングローブ植林との
比較になっちゃうんですけど、当時はオオバヒルギならタテ・ヨコともに70cm間隔で植えていたんですね。
粗っぽい言い方をすれば、これはマングローブならではの間隔といいましょうか、なかなか密度の高い数字だと思います(たぶん)。
今回の植栽は140cm間隔ということで、作業員の方々はバカ棒(バカでも間隔が分かるという意味だそうです。じゃあ、関西ではアホ棒、名古屋ではタワケ棒になるというのが私の確固たる持論です)を使ってこの間隔を保ちながら作業するわけです。
ちなみにラノーンでは最初の列だけロープを使って、あとは職人技で目印となる竹を刺していくだけ。
これが簡単なようですっごく難しい。
午前中は、その間隔のことで何度か作業が一時中断することがありました。
なぜかバカ棒を使っていても、不思議なことに微妙にずれてくるんですね。
4~5本植えてあと、ふと視線を上げると、間隔が広すぎたり狭すぎたり、
正面から見ると「く」の字になっていたり(泣)。
「ちょっとくらいなら、いいんじゃね?」と思っている方、反省してください!
仮に10cm狭い間隔で植えてしまったとしましょう。
植林地の区画が200mだとすると、1列につき140本を植えられることになります。
これがたった10cm狭くなるだけで、えーと、まあ…、とにかく予定より多い本数を植えてしまうことになるんですよ、たぶんっ!
せっかく頑張って植えたのに、苗木が足りなくなったら悲しいではないですかっ!
足りないからと言って、「自腹で買ってこよ」という心意気を見せられますかっ!
って、何に興奮してるのかよく分からなくなってきましたが、とにかく間隔は大切なんです。
ちなみに植樹祭の時は、赤い割りばしで「ココニウエヨ」との目印があるので、初心者でも安心ですよ。
H28年度植栽が始まりました!
こんにちは。浅野です。
2016度の植栽が始まりました!
昨年同様、約10ha・50,000本の植栽予定です。
場所は2014年の植栽地の北側からスタートで、閖上地区の約3haも植え付けます。
今年の植栽場所はチップがまったくない場所があるため、
乾燥対策が大変になりそうです。
今日は朝8:30~宮城中央森林組合に造林講習会を実施。
まずは座学で植え付けの注意点や安全面確認などを徹底します。
そのあと植栽現場へ移動して現地実習…もそこそこに植栽が始まりました。
みなさん1年ぶりの植栽(中には初めての人も)ですが、
30分程度で感覚を取り戻し、どんどん植えていきます。
午前中の1.5時間で100本植える職人も。
実働約4時間で2,200本の植栽が完了しました。
今年はクロマツの普通苗(裸苗)が3,000本しかないので
明日からはコンテナ苗の植栽も始まります。
コンテナ苗は普通苗と比べると大きな穴を掘らなくていいので
植え付け自体は少し楽になるみたいですが、
その分本数も植えられるということで、あまり体への負担は変わらないのかもしれません。
1日の作業を終えた職人さんたちからは「腰が痛い…」「鍼行かなきゃ…」といった声が・・・・・・。
普段の山での作業とは違う平地での植栽にお疲れの様子でした。
また明日からもよろしくお願いします!
記憶をよみがえらせる写真の力
広報室の林です。
今年も「ボランティアの日」の活動がスタートしました。
毎月現場に通うことになります。
今回は16日のボランティアの日の前日、東北学院大学の菊池先生による
海岸林の歴史に関する聞き取り調査に同席させていただくことができました。
今回は第二育苗場の皆さんに集まっていただき、吉田が以前報告していた国土地理院のHPで見られる古い航空写真を見ながら先生が地図から読み取れることを説明したり、推測できることが皆さんの記憶に残っているかを確認したりというものでした。
皆さんが生まれ育った北釜上空を米軍が昭和20~30年代に撮影した写真などを見ていると
「この道通って小学校通ってたんだ」
「こいつぁ、●●さんの家だぁ」
などなど具体的な話がたくさん飛び出してきました。
一番面白かったのは先生が堆砂垣の話をしたときのこと。
上空から海岸に白い筋状のものが確認でき、堆砂垣を作っていたのではないかと。
(堆砂垣についてはこちらで説明しています)
すると
「うちのばあちゃんが夜なべして編んでた」と水辺に生い茂っていた葦などを
刈ってきて、それを堆砂垣に使うヨシズを編むために各家庭で内職のような
形で毎晩作業をしていたのだとの証言が飛び出したのです。
女性からも「嫁いで来た時ずいぶんさせられた」と。
今までそんな話、聞いたこともなかったのに・・・・・・。
写真の力ってすごい!
翌日の準備のため途中で退席。ずっと聞いていたかったなぁ~残念!!
今年度初のボランティアが終わりました!
今年も4月から11月にかけてボランティアの日を設けて活動します。
第一回の活動日は定員50名のところ90名を超えるお申し込み。
実際には95名が参加。スタッフも入れると100名での活動となりました!!
嬉しかったこと。
昨年3歳で参加してくれたおちびちゃんが今年もご両親に連れられてきてくれたこと!
(記念撮影では横断幕の前に陣取りました!! ニコンの社名が入ったビブスは
まだブカブカでしたが、それが何ともかわいかった!! 遠くからのご参加ありがとうございました)
それから名取市民の個人参加者も増えてきたこと。自転車できてくださった方も!
活動レポート、少しずつアップしていきます。
最も忙しい時期に突入
今日は突風。風速28mの蔵王おろし。明日は穏やかなようですが。
昨日の雨で、水溜りもあちこちに。
今年初のボランティアの日が近づいてきました。
あっという間に参加者が90名を越えました。6月も締切寸前。
例年通り、続々と申し込みがあり嬉しく思っています。
私自身、明日の午後まで東京を離れられず、2週間現場は見ていないのですが、
4月上旬に2日間で、昨年4月のひと月分、約100mm雨が降りました。
土がよい状態で植栽できることを念じています。
3月末の現場ではヒバリがたくさん飛んでいました。
そろそろ植栽地のマツの近くに卵を産むことでしょう。
ボランティアの皆さんに「踏まないでね」と言わなくては。
ボランティアの日の仕事のメインは、植樹祭の準備。
植栽箇所10,000本分のマーキングを午後行うつもりです。
昨年の様子はコチラ。
http://www.oisca.org/kaiganrin/blog/?p=10465
たぶん土曜日だけでは終わらないでしょう。
その他にも仕事はあるのですが、最終的には統括と前日決めて段取ります。
再生の会は、3月上旬から続いた播種の準備「コンテナの土詰め約100,000粒分」を終え、
育苗場の除草や、5万本の植栽準備に突入しています。
週末から怒涛のような日々が始まります。
東京のオフィスで、一人気持ちが高まっています。
皆さんと会ったら、大きな声で挨拶して、緊張をすべて吹っ飛ばそう。
仙台藩といえば伊達政宗をはじめ藩主の何人か、そして伊達騒動
の原田甲斐、江戸期早々にヨーロッパに渡った支倉常長。
そのくらいしか人物が思い浮かばなかったのですが、
最近、玉虫左太夫という名を目にしました。
幕末の仙台藩士です。
彼が歴史に名をとどめている大きな理由は、万延元年(1860)に
条約の批准書交換のため幕府がアメリカに派遣した使節団に加わり、9か月の旅を「航米日録」という詳細な記録に残したからです。
彼はすでに蝦夷地〈北海道)を訪ねた折の綿密なルポを書いていて、そのことで武士としては高い身分でなかったにもかかわらず、
いわば「記録係」として使節団に加わることができたようです。
当時30代後半だった彼に、
「絶好の機会だからアメリカをとことん見てやろう」
という強い気持ちがあったのも間違いないでしょう。
さて、記録の中身です。なにぶんこちらも勉強中で偉そうなことはいえませんが、一言でいえば、
アメリカの中の先進性に目をつけ、その目で日本や日本人を批判的にみつめている、
とでもまとめられるでしょうか。
しかし、左太夫を知って何より感じるのは記録に残すことの大切さです。
およそ150年前のアメリカの様子はもちろん、そこに乗り込んでいった使節団の面々の意識、
それは野望や大志であったり、驚きであったり、あるいは強者に対する卑屈であったりするのですが、
それが手に取るように伝わってくる。記録の価値は、時間がたっても色あせることはありません。
宮城県名取市の海岸林再生プロジェクトに関連して、江戸時代に始まる海岸林の歴史だけでなく、
古くからの地元の生活や風俗、習慣の移り変わりも、聞き取りを重ねて記録に残そうという作業を
先月から菊池慶子・東北学院大学教授が中心になって始めました。もちろん、海岸のクロマツ林再生の
営み自体も後世にきちんと伝えなければなりません。
仙台藩士・玉虫左太夫にはまた触れる機会があるでしょうが、
この地の先達を知ったことで、記録への意欲をかきたてられた次第です。