85,000本。
今年植える大雑把な計画本数です。
人生で、1つの現場で毎年こんなに計画できることは2度とないと思います。
私を含めて、初日は38人がこの現場に集まりました。
居るはずなのに居ない職人には、電話して近況を教え合ったり。
1年ぶりに話すとお互いいろいろ生々しいけど。
「2014年に植えたのは樹高3.3m。去年1.3m伸びたのもあるんですよ」
林業労働者の多くは、自分が関わった現場のその後を、必ず気にしています。
数多の現場を手掛けても、この手の話に反応するのはプロだと思います。
自分より若いオイスカ職員でフィリピン人のグラゼンさんが来ました。
外資系企業ボーイング本社への8年目の申請書の最終的な詰めをするために。
彼女をはじめとする東京本部の協力があって、また、ボーイング・ジャパンの
後押しがあって7年、大きな支援が続きました。
彼女は、名取の海岸林再生に最初から関与している清藤城宏参事らとともに
サイクロン「ハイエン」からの復旧事業として、レイテ島など520haの植栽現場も担当し、
極めて順調な成果も出しています。オイスカフィリピン会長も2度も作業。
ボーイング社は、このくだり、国際連携を評価してくれています。
(これができなきゃ国際NGOじゃないですね)
今日のこの場、来てくれていたことは、ちょっとだけ感慨深いものがあります。
随分厳しいことも言ってきました。何度も泣かせたなぁ・・・・・・
それでも7年、少なくとも30回以上、40回・・?宮城を往復。
往復するのは名取だけではなく世界も。
彼女は講習会の後、午後1時間佐々木統括に1時間ヒアリングし、その後は再生の会と苗木の梱包。
きっと、仕事しながら肌身でヒアリングとしたのでしょう。帰った後、再生の会の人たちから
私がお礼を言われました。ああしろ、こうしろなど海岸林チームに言う必要何もなし。
こういう時こそ、強引にでも同僚を連れてくればよかった・・・
森林組合は若手にガンガン、ガシガシ指導していました。
でも、自分より若い人に限った話ではない。
年齢問わず、関わる人たちすべてを視野に、今年もやっていこう。
うちの統括が目上の人にも毎年の造林講習会をやっている趣旨、全体を見据える真意に見習おう。
私も今日働きに来てくれた人、これから来る人とできるだけ話してみよう。
名取でも、森づくりは人づくり、人づくりのオイスカと言われるように。
私は「人づくり」という言葉が、オイスカを働く場所に選んだ決め手でしたから。
天気予報で最高気温15度と聞くと1枚多く着ます。
4月16日植栽初日は、冬を思い出すような朝の寒さでした。
週末は暑くなるようですが。
森林組合のDさんは7時に事務所に一番乗り。会うのは1年ぶり。
「この時期(年度初め)は仕事が薄いんです~」 わかる・・・この業界。
5月一杯までは途切れやすい。今年は新顔が3分の1。
薄い~と言いつつ、「今日はこのまま焼肉やろうよ!」と。さすが山師。
同じ森林組合でも、普段は別々の班で、なかなか会えない仲間が大勢集まるから、
そんな話が出るのかな。今年は松島森林総合からも3人。
オイスカからは、小林省太さんとフィリピン人職員のグラゼンさんが、
それぞれ目的をもって同席した。
おもむろに造林講習会が始まった。びっしり2時間。
毎年感心するのは、じつに真剣に聞いてくれること。メモは誰も取らない。
ベテランになればなるほど、仕事ができる人ほど完全に聞き入っている。
佐々木統括の話は、基礎の基礎でも、例えも含めて実に具体的かつ現実的。
マツの植え方と杉の植え方を比較したり、道具の扱い方・点検、法令、安全対策・・・
植付だけでなく、施肥、下刈、ハチの駆除まで多岐も多岐。
林業マンは正直です。ためにならないと思ったら堂々と寝るものだ。
部屋は暖房でガンガンに暖かくても、今年も寝る雰囲気はなかった。
「カツカツしてやることないからな!」これも毎年必ず言うセリフ。
お昼まで残り1時間半は道具の分配・点検など段取り。植付は午後から。
初日に相応しい落ち着いたスタートと思うや、植付班以外の誰かから声がかかる。
「(植付班は)20人だから4,000はやるよな!」
「4,500でもいいぞ!」
3時間・20人・4,000本。
つまり約1分で1本。
週末は犬小屋の掃除したり、プロ野球を一生懸命見てから、夕方東京の自宅を出発。
各駅停車、ガラガラの新幹線自由席で、のんびり宮城に向かいました。
今年はどんな展開になるか・・・想像を巡らせながら。
明日4月16日の植栽開始前は、安全衛生講義も含む、恒例の「造林講習会」。
宮城中央森林組合の職人さんは、8時半開始と言っても7時過ぎには集まり始めます。
職人にとって新しい現場初日は、情報も欲しがるし、気分良く落ち着いて入りたいはず。
久々に会う人ばかり。楽しみだ。初日ぐらい、コーヒー入れなきゃなぁ。インスタントだけど。
今回出張の私自身の心掛けは「手元」になること。
建設、建築の半人前の職人がベテランを補助する時の業界用語が浮かびました。
私が林業会社時代、よく親方と組ませていただきましたが、高所作業の時は下に陣取り、
重機の時はアームの先や、運転席の横に位置して補助するのですが、これが難しい。
親方がやろうとすることを「読む」のが、ちゃんとした手元。
あの会社の2年は、毎日が初めてのことばかりで、とてもとても・・・
現場監督の佐々木統括を筆頭に、植付の森林組合現場代理人や職人、苗出荷の再生の会が
一体となりますが、統括の手元、全体の手元となることだけを考えて
明日のスタートを切ろうと思いました。
2008年、岩手宮城内陸地震が日本百名山「栗駒山」周辺であり、
想像を絶する無数の山崩れが起きて、人命を含む大きな被害が発生しました。
当時、私は神奈川の林業会社にいました。もし自分が山で働いていたら、
まず助からないと思ったことを鮮明に覚えています。
「復旧には10年かかる」と言われたそうです。
それに対し、宮城南部の海岸林再生と同様、国有林以外もすべて国が引き受ける
「民有地直轄治山事業」が行われ、前倒しで復旧を完了しました。
国が本気で乗り出すということは、そういう怒涛のペースで進むのだと、
心の持ち様においてまで、大いに参考になりました。
2013年に初めて現場を見た印象は、労働者目線でただ恐怖感。
壮絶な仕事であることは容易に想像がつきました。
今回、震災直後、いの一番に連絡を取り、最初から行動をともにした
松島森林総合の佐々木勝義さんと、残雪の中を再訪しました。
この復旧に当たった人たちは、どういう気持ちで臨んだのか、あらためて考えるために。
そして、私たちはこれから海岸林を訪れる人たちにどう伝えるのか考えるために。
今回は2回目の訪問。前とルートを変えましたが、その結果、片方の県は充実した説明表示。
しかしもう片方は・・・あまりにも何も書いてないので、肝心な場所をスルーしてしまいました。
広報啓発、報告義務、説明責任の追求ということに、二人で意を新たにした視察になりました。
真っ二つに折れた橋、波打った国道、山崩れなどの遺構や、
各機関の技術者魂が伝わる重厚な説明表示板などが集約された場所があります。
栗駒山に来る多くの観光客が足を止めるわけではないでしょう。
ですが、各地で色々な見聞を重ねてきましたが、
私にとっては、震災後一番伝わってくるものがある場所の一つです。
再生の会は、3月26日から1週間余りで、最後のコンテナ播種のための
「土詰め」をあっさり終えた。2020年植栽用、約45,000粒分、
コンテナ約1,900台。
聞く人が聞けば、もう最後なのか・・・と思う人もいるかもしれない。
でも、きっと再生の会の大半の人たちはそんなこと考えていない。
感傷にふけるというようなムードは、まるでゼロ(笑)
和代さんと子どもたちと合流した日は、東北放送のラジオで「植樹祭参加者募集」の
告知をしてくれるというので、放送が始まるのを待ち、大音量にして作業。
まれに見るおとなしさだと思いきや・・・
アナウンサーの声がどうもおかしい。だんだん我慢できなくなる。
「なんだこの鼻声!」と大笑いが始まる。「花粉症か?」と、いつもの再生の会。
(よく聞くと班長一人が大騒ぎして、皆はつられて笑っているだけなのですが)
持ち主さんは完全にダンマリを決めてましたが、
音を大きくすると、このラジオはいつもこうなのだとか。
今年もぶれることなく、こうやってみんな集まり、着々と進んでいます。
やっぱりいつも、いい人たちと出会ったなあと思うのです。
和代さんの子どもたちと
東京本部海岸林チームの鈴木和代さんと春休み期間中の子どもたちと1泊2日過ごしました。
和代さんは1年ぶり4回目、東京本部にもよく来て手伝いをしてくれる
中学1年と小学校4年生になる子どもたちは2年ぶり3回目。
大事な2日間。事前シュミレーションは十分。
今回のテーマは「やるべきことを先にやる」。
9時前、仙台着。この時点で気合が違う。
真っ先に、新幹線改札前のずんだ茶屋でスイーツ。
事前情報に沿って、軽く意表を突いたつもり。
吉田:「これだけはやりたい!ということ一つ言ってくれる?」
子どもたち:「海で遊ぶ!」
吉田:「よし!」(外洋の砂浜と内海の磯、両方と腹を決めた)
名取に到着するや否や、再生の会10人の「コンテナ土詰め」作業に合流。
子どもたちは1時間半没頭。よくやった。お仕事、おしまい。
午後、震災遺構の仙台市立荒浜小学校を2時間ぐらいじっくり見学。
和代さんの最大リクエスト。見学施設として年々充実していた。
名取と近いし、可能な限り視察先にしたい場所と再認識。英語表記もある。
昼休み、ポッカレモンに10円玉を漬けて、錆びを落とすのを見せる。
吉田:「10円玉は何でできている?」
中1女子:「銅!」
吉田:「銅って一番錆びない金属なんだ。でも浜風が強いとすぐ錆びるんだよ」
小4男子が海岸林の入口ゲートに置いてくれた。
車の中で、少しだけ「お母さんは何のために仕事をしているか」を説明。
現場着は3時ごろ。クロマツはスルー。海その1。
和代さんの実家と同じ、外洋に面した砂浜海岸。漂流物遊びで大盛り上がり。
名取の海でこんなに遊んだのは私も初めて。
日没が迫り、ようやくクロマツに。
子どもたちはヤッパリ松ぼっくりに関心。種がどんな風に飛ぶか。食べて見せたり。
タヌキやキツネの糞探し、ネズミの巣穴探し。飛行機の真下にも連れて行った。
お母さんの仕事の海岸林は、楽しい場所だと感じてくれたらいいな。
私にとっては、子どもを受け入れるいい練習。
次は6月。フィリピンとタイの子どもたちを3泊4日で受け入れる参考になった。
一つできなかったのは、スズメバチの撃退グッズ製作・・・
宿泊・夕食は松島。
林業のプロ2社と今期の結団式を兼ねて地魚三昧。
まだ和代さんと面識がなく、紹介したかった。
和代さんは飲みっぷりも見事。
次の日は、完全休日。海その2。私は寝坊。
海その3は、偶然見つけた潮干狩りの穴場。いいこと知りました。
和代さんはコメ30㎏お買い上げ。子どもたちは精米を初めて見たのかな??
締めは楽天vs日ハム戦、デーゲーム。や~、気が済むまで遊びました。
植えて10数年後の姿
富士市を歩いた日、平均樹高6m程度、ごく小規模な林分を1ヵ所だけ見れた。
名取の近い将来に対する目の訓練をしなければならないのです。
ここだけ、他とまったく違う樹高。
ロープも張られている。神社の入口らしい。神社所有?
私の見立てでは、平均樹高は6m以上。樹齢13年、胸高直径15㎝。
本数調整伐すべきだろうか。名取なら考えたい状況に見えた。
林内を覗いてみた。
まずは、本数調整伐より「つる切り・除伐」を実施することだろう。
植えたときは1万本植えか?でも、切り株は見当たらない。
間隔もまちまち。樹間が2m以上の場所も。活着率が5割以下だったのでは。
地下水まで10mの砂山の上。厳しい乾燥の地なのだろう。
離れた場所で見るより、マツの傾斜角度が著しい。
防潮堤による防風効果が薄れる距離なのか。
富士市の他の林分でも、防潮堤から離れるほど枯損が多かった。
コストはかかるが、植えた直後の防風垣、静砂垣の有無はこのような違いになるのか。
案外下草があるのは、枯損木や、枝下高が極端に高いことによる日照のため。
太平洋側、植えて10数年、欲を言えば人工盛土の上という植栽事例は限られています。
目星はついていますので、コツコツ足で稼いで鍛錬したいと思っています。
全国の海岸林は、ゴミが皆無の現場と不法投棄最前線の現場にはっきり分かれます。
富士市は、目下、まさに海岸林造成を「施工中」。拾ったばかりかもしれないし、
それとも悩んできたのかもしれない。私が訪ねたのは休日でもあり、
犬を連れてマツの中を歩く人、防潮堤上をサイクリングする人が多かった。
海岸林に沿って人家だけでなく墓地もある。松林への進入路も、作業道を兼ねた歩道もある。
しかし、それにしてもゴミは落ちていない。
勝手な想像ですが、地域住民と松林との関わり、海岸林保全に熱心な行政、
それらの熱量がゴミの投棄を抑止しているようにも感じました。
いま名取の現場では、まだ探さないと見つからない程度ですが、問題はその周囲。
今年の植樹祭の会場付近は、最もゴミを「投げられる(宮城弁)」場所です。
そのままにしておけば、当日も参加者は目にするでしょう。
事前に処理するのがイイか、参加者に協力してもらうのがイイか・・・
最近は、ベッドのバネだけが多数投棄されました。
ちなみに、我々で処分すれば寄附金で処理することになる。
行政に頼んでも震災ゴミか、震災後のゴミかで、所轄も変わる。
先日も情報交換の場で話題に出しました。
各地の優れた海岸林保全の現場のように、とてもゴミを捨てる気にならないような、
熱すら感じる姿にしてみたいと、あらためて思いました。
植林絶対主義根絶キャンペーン
本部・広報室の林です。
海岸林チームがみんな名取や愛知に出張している留守番中、
久しぶりに次のような電話のお問い合わせを受けました。
「海外林(「海岸林ですけど…」と訂正したいのは我慢)再生プロジェクトの
ボランティア募集のサイトを見ていますが、作業に根踏みとか除草とかしか
書いてないんですが、植林作業はないんですか?」
「はい。ボランティアの皆さんに植栽はお手伝いいただいていないんです」
「え?しょくさ……何ですか?」
「しょくさい、植栽です。木を植える作業はプロにお任せしていて、
ボランティアの皆さんにはその後必要な保育管理をお願いしています」
「え?草取りってことですか?」
「草取り以外にも、苗木が育つために必要な作業全般です」
「ああそうですかぁ~分かりました」……ガチャン!!
オイスカは長く国内外で森づくりに取り組み、ボランティアの受け入れの経験も35年以上。
植える体験をしたい人が多いのは知っているし、その気持ちも分からなくはありません。
実際、プロジェクトの現場にボランティアに来てくださる方の中にも「植えたいなぁ~」と
思いながらツルマメと格闘したり、溝切り(排水路づくり)をしたりしている方もいることでしょう。
それでも多くの方が、クロマツのお世話を通して「愛着を感じる」「がんばって成長して
もらいたいと心から思った」と、感想を話してくださるのを聞きました。
植えて満足するだけの人を増やすような体験機会の提供は真の森づくりには
つながらないと、常々考えています。本当に必要なのは、長く続いていく保育作業だから。
久しぶりの「植えたいだけ」さんとの電話のやり取りで、「保育管理大事!」の発信が
まだまだ足りないのかなぁと、ちょっとがっかりした次第です。
植林絶対主義根絶キャンペーン第一弾。
(なんだか字面が怖い……もうちょっと楽しそうなネーミングにしないと。
「クロマツのお世話も楽しいよキャンペーン」とか?……発想が貧相だなぁ)
世の中の「植えたいだけ」さんたちに声を大にしていいたい!
こうやってツルマメを抜き取ってくれるボランティアさんが
いるからクロマツが立派に育っているのですよ!!!
3月25日、新幹線から沼津‐新富士間で見える富士市の海岸林を歩いた。
マツだけでなく、南海トラフ対策のいまも見たかった。対象は全長20㎞。
富士山を背に東海道線JR吉原駅を下車。海抜5m。
駅北側の後背地はさらに低くなり、線路と松林に沿うように東西に川と湿地。
駅南側から汀線までは1㎞。その間「砂山公園」まで上り坂。
途中、海抜10m程の位置に高さ15mの津波避難タワー。海沿いには4基。
砂山に至るまで、神社などの石碑や説明版などを見ると、「漂砂」「高潮」に
苦しめられてきた地元史も刻まれていた。河口や港はときに砂で埋まり、
13mの防潮堤も高潮で越波されたという。
海岸林の整備も進められている。
車窓から見ると、遠くにせりあがった場所にパラパラと見えた松。
現場に行くと、想像とまるで違い、舐めるように歩くことになり、
5時間かけてたった5㎞しか歩けなかった。
一つどうしてもわからないことがあり、数日後、富士市林政課に電話。
技術的にはあり得ない、見たことのない施業だった。一体なんだろうと思って。
「分かる人いらっしゃいますか?」と聞いたら、即、担当の方とつながった。
プロの仕事、行政が発注した仕事ではないこと、自分で植えて自分で育てる住民の存在、
後押しする行政など、一本の電話でいくつものことを教えていただいた。
一生懸命な住民の先走り、行政にとっては意図せざる仕事でした。
ちゃんと説明を聞いてからにしなかったため、住民は下草刈りの量が増えることになる。
しかし、失敗してわかることもある。羨ましいような住民の存在と言えなくない。
電話してよかった。
市民参画の姿をまた知ることができたので。
参考になるかわからないけど、私も現場を歩いた感想をお伝えした。活着率向上の手段など。
Mさん、部外者からの突然の電話なのに、親切に教えていただいてありがとうございました。