宮城への家族旅行 その3震災
2014年9月10日( カテゴリー: 本部発 )
こんにちは
海岸林担当 パートの鈴木です。
8月28日から30日まで宮城県に家族旅行に行き、思ったこと感じたこと記しています。
今回は“その3震災”について思ったことを・・・
私たち家族は2011年3月11日当時、海外に在住していました。もちろん海外でも大きく報道されていたので、私たち家族も報道を通して大惨事や被害のことなどを知っていました。
ただ、当時5歳、2歳だった子どもたちが震災のことについて、言葉では知っているものの、どこまで理解できているのか疑問でした。帰国後もラジオ(私はもっぱらラジオ派で、家にいる間はずっとラジオをかけています)から幾度となく流れてくる“東日本大震災、津波”という言葉に関心を示していました。言葉ではなく、体で何かを感じ取って欲しい、いろいろなものを素直に吸収できる今の時期に何かを心に刻んで欲しいとの思いもあり、この夏休みに宮城県への旅行を計画したわけです。
塩竃市浦戸諸島、名取市と訪れてこんな言葉を聞きました。
「ここには立派な家が建っていたんだけど、津波で流されてしまったんだ」
「ここにあった松林が津波の影響で全部枯れてしまって、全部切ってしまったんだ」
「(1トン入りの土袋を見て)あの袋の中には土が入ってんだ。ここに防潮堤を作る計画らしいんだ。俺たちはいらねっていってんだけど・・・」
「家は床上まで津波が来たんだ。小学校に避難してたから助かったけど、薬を取りに帰った人が津波で流されちゃって・・・薬なんかどうでもいいのになぁ」
「あれが仮設住宅。仮設に住んでる人たちは“仮設はいやだぁ。隣の声がつつぬけだもの”と言ってるよ」
など、自然に目に入ってくるものの中に震災の痕跡があり、説明してくださいました。
こうした言葉や実際に目にしたものが、現在8歳、6歳になった子どもたちにどう映ったのかはわかりませんが、心のどこかに残ってくれることを願っています。
たいへんな被害に遭われた方々のご苦労やご心痛を思うと、私が旅行で訪れて、こうして記しているのもおこがましい気がします。でも、東日本大震災を経験した日本に住む子どもを持つ親として、震災に遭われた場所を訪れ、子どもに実際の感覚として感じさせるのは親としての責任だとも思っています。
子どもは、実際に見たもの聞いたことを自己消化するのに時間がかかります。消化されてどのような言葉でこの体験を語ってくれるのかを楽しみにしています。