はじめて、台湾の若者と

 吉田です。3月18日の晩から20日の晩まで、東京本部にボランティアに来てくれている台湾大学の黄(こう)君(明治大学に1年交換留学中)と、現場で行動を共にしました。行き帰りの2日は、行先をアドバイスして、彼任せに。

 まず、伐採が終わるまで保留にしていた、2018年植栽地のモニタリング調査地8ヵ所のナンバリングを手伝ってもらいました。大槻さんが手伝いに来てくれたこともあって、落ち着いて進めることができ、現場管理に来た松島森林総合の佐々木さんと、お昼は「ラーメンねぎっこ」に行く余裕もありました。その流れで、内陸防風林の様子を4人で確認。午後もナンバリングを進め、前倒しで仕事は終わりました。(これで今年度現場でやるべきことはすべて終わりました)

 そもそも、彼を名取に誘ったのは私からです。なんとなく気になっていて(笑)台湾にも、松の海岸林があると聞いています。

 震災直後、台湾から官民ともに手厚い支援をいただきました。名取市の被災地もその一つです。名取市海岸林再生の会の鈴木会長からは、「文化会館で現金をいただいた」「お礼を言うために台湾を訪問した」と何度も聞いており、その顛末を黄君に話してもらおうとお願いしてありました。

 仙台空港から台湾へは、毎日3便飛んでいるそうです。東北6県は台湾への農産物などの輸出を熱心に進めています。ですが、オイスカと台湾の関係や、相互交流の割に、台湾の人を、私がしっかり案内するのはこれが初めて。(メディア取材のほか、出身国を聞けなかった人はいると思いますが。ちなみに、台湾のみならず、韓国、中国、香港の若者とも接点なし)

 彼は3泊4日の行程で宮城に来て、うち丸2日は、調査地のモニタリング、内陸防風林調査や全体の巡視。その他、名取市では、北釜防災公園、北釜観音寺(震災後、台湾への感謝の気持ちを込めて、台湾の寺院に倣った建物にした)、旧北釜集落跡(鈴木英二さんの震災直後の空港への避難経路を辿った)、市震災伝承館(イラストレーターicoさんの展示も)、国重文の「洞口家住宅」、山元町では震災以遺構「旧中浜小学校」を案内しました。

 大槻さんが「いい目、いい顔してる」と繰り返し言っていました。彼は8月上旬まで日本にいます。あと何回来るかな?ウズベキスタンから帰国する柚原さんと一緒に仕事する日があるかな?彼のこれから、何をやろうとするかな?じっくり、楽しみにしています。きっと今回の体験を、たくさーんオイスカ本部ブログに書いてくれると思います。どんなことを書くかな?(公開は来週あたりか??)

 ちなみに、黄君が中浜小を見学する間、私は山元町の海岸林再生現場と、海岸浸食対策の養浜工事を見に行ってました。

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