吉田です。3月30日、鈴木和代さんとご子息2人と閖上のサイクルスポーツセンター屋上から、現場を眺めました。久しぶりに。めちゃめちゃ寒かったけど。ボランティアの皆さんにも見てもらうのもいいなと思います。

 溝切り必要箇所は103haの中に点在します。その一つ、2018年の植栽の後、屋上から見える3.81haの多湿地は、すぐ溝切りを始めました。以来、もうすぐ丸4年。今年で終わるかどうか・・・写真を見てもらいましょう。

 【作業予告】ちなみに、4月16日の公募ボランティアの日では、この上の写真の、防風垣がまばらになっている個所の排水溝を修復し、柵を溝の上に戻します!!

 ここサイクルセンター前では、マツの間に溝を作ってきました。今年上半期、力持ちが大勢、連日来るような時、全長200m×深さ1m弱×幅1.5mクラスの大溝を、防潮堤に沿った作業道沿いにと思っています。この場所は元の自然砂丘上なので、盛土厚が最も薄く、1m掘ったらもとの海砂が出てくるのではないかと。そこまで掘れば、最高の浸透を見せてくれるのではないかと。6月10・11日の「化学総連」「全積水化学グループ労組」「ANAグループ労組」・・・期待しています。

 ここが終わったら、2014年植栽地の約4haの粘土地帯にも手を入れたいです。溝切りしたい場所はいくらでもあります。終わるのに何年かかるかわかりません。でも、あと10年ぐらいで終えたいです。

海岸防災林、再生進む 青森・岩手・宮城3県は復旧完了、福島は7割 | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS (kahoku.news)

 河北新報4月10日日曜日の1面に取り上げられ、多くの方に現状を知っていただけることを嬉しく思っています。書かれている課題は、まさにその通りです。何のために海岸林が存在する必要があるのか、啓発普及が最も肝心と私は思っています。1枚目の写真は、オイスカから提供させていただきました。また、記事の被害面積・復旧面積には、国有林面積が含まれていません。宮城県は民有林750haに国有林650haを加えた、約1,100haが復旧面積と私は認識しています。

 福島は遅れているのではなく、もともと200haの海岸林を600ha以上、3倍に増強しているからです。私は年末あたりから、宮城出張の車での往復途中で、双葉町~南相馬市~相馬市~新地町を4回見に行きました。盛土を最初に作り始めたころと比べ、細かな工夫が随所に見られます。「明日植えます」と言わんばかりに、苗木が置いてあるのも何度も見ました。宮城と違って、福島はイノシシが盛土の法面をほじくり返した跡をよく見ます。詳しくは、下記ブログをご覧ください。

宮城県(担当:水産林政部)は、沿岸部の再生・活性化に向けて、海岸林再生に直接参画する組織のみならず、沿岸部振興に参画する企業・団体・NPO・住民組織とともに「みやぎ海岸防災林・森林づくり協議会」を立ち上げ、オイスカからは幹事、名取市海岸林再生の会からは技術部会長として同協議会に参画しております。このたび、そのプロジェクトの総称「みやぎグリーンコーストプロジェクト」のHPが完成し、動画などが公開されました。ぜひご覧ください。

「みやぎグリーンコーストプロジェクト」 情報発信サイト

 吉田です。3月19日(土)の公募ボランティアの日に、宮城、東京、神奈川の学生インターン3名が、自分たちの8ヵ月の体験を振り返りながら、続く人が出てくるように、もっと多くの人に知っていただくようにと、自主企画してくれました。ZOOMでつながってはいましたが、3人が揃うのはこの日が初めて。8ヵ月をきちっと締めくくるって素晴らしいです。若者の声、聴いていただけたら嬉しいです。

https://www.youtube.com/watch?v=Qhvu2YOcJe8

220331 インターン東京名取3名の修了レポート

 完全に「仲間」「戦力」として活躍してくれました。SNSなど広報でも頼りにしました。その結果、報告の中で語られたミャンマー募金は約1,300万円の寄付が集まり、冬募金&フィリピンネグロス島台風復旧募金は約1,400万円、60周年記念シンポジウムには約700名が聴講。

 SOMPO環境財団のインターン(CSOラーニング制度)を通じて、24年前からオイスカに学生さんが来てくれており、今年も名取1名、東京本部2名、中部日本研修センター2名が募集されています。応募締切は5月5日。活動は6月から。

2022年度 SOMPO環境財団「CSOラーニング制度」募集要項

 また、イキのいい若い衆が来てくれるといいなあ!畑君、小宮君、豊田君、元インターンで動画の編集をしてくれた橋元さん・・・皆さんこれからもよろしくね。

海岸林担当の鈴木です。

昨日の息子の投稿に続き、こちらは娘の感想文です。

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震災から11年経ち、東京で暮らしていると震災を思い出すことはほとんどなくなってしまった。

しかし、今回宮城に旅行して、まだ復興は終わっていないことを改めて感じた。

海岸のそばの、ならされたままになっている広い土地や、福島県内の居住禁止区域の傾いている家などを実際に見て、復興途中であることを強く感じた。ちらっと見た中浜小学校では、前回旅行した時に訪れた震災遺構の小学校を見て受けた衝撃を再び思い出させられた。

被災地と、そこから離れた場所の震災に対する温度差があるのは仕方のないことかもしれない。だが震災の教訓を生かし、同じような被害を出さないためにも、思い出す機会をもっと増やさなければならないと思った。

そんな中でもサイクルセンターや商業施設、公園が新しくできて、地元の方が訪れているのを見ると、にぎやかさがあちこちに戻っているのも感じた。

以前植えたマツを案内していただいた。植えたときは風で倒れそうなひょろひょろしたマツだったが、いつの間にか頑丈に育っていた。一部のマツは自分の背丈よりも大きくなっていて、幹も太くぶつかるとちくちくして痛かった。サイクルセンターの屋上から見た海岸林は広大で、これだけの大きなマツが風や砂を防いでくれると思うと安心して暮らせそうだ。

サイクルセンターの屋上からの眺め。寒すぎて、最初にギブアップしたのが娘でした(^^;)

吉田さんが楽しそうにマツを案内していたのが印象的だった。

私の中で大人は疲れているという思い込みがあったが、吉田さんを見ているとそうでない人もいると思った。車の中で大人たちが人事など大変そうな話をしていて、「限りある時間で職場の人間関係を保ちつつやることをやりながら新しい企画も進んでやる」ことはとても難しそうだと思った。私はまだ学生で、テストと課題に文句を言いながら学校に通っていればよい。だが社会人は求められることもたくさんあり、上司に評価され、責任も発生する。世の中の社会人はよく生きているなと何様だといわれそうなことを思った。

「おとなは疲れている」という概念を打ち破ってくれるのが吉田さんのようです(^^;)

竹灯りの料理が全部おいしかった。20歳になったら飲みに行きたい。特にブリのカマと銀鱈がおいしかった。ホヤも。ほかにおいしかったものは海鮮丼といも小町とスコーンとシュークリームと・・・・

一番言いたいのはまた行きたいということだ。

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うちの娘、どれだけ食いしん坊なんでしょう(^^;)

東北に足を運ぶきかっけが何であれ、子ども達とともに復興の足跡をたどっていきたいと思います。

海岸林担当の鈴木です。

3月28日からの宮城出張に子どもを同伴させていただきました。

運転してくれた吉田さんから感想文を書く宿題を出され、息子が提出したのがこちら↓です。

最後の一文にすべてが凝縮されているようです・・・

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先日、2泊3日で白石、名取、相馬に行った。

 車で山道を走っていると伐採をしたままで木がそのままになっている山があった。そのままだと雨が降ると木が流れて凶器になるとのことで、最後まで責任をもって作業することの大切さを感じた。

 初めて名取に来た時に雑草抜きや、ツルマメとりをした30cmぐらいしかなかったマツたちが3mぐらいまでなっていたので、その成長速度に驚いた。2019年に植えたマツは大きいもので50cmにまでなっていた。

3mはちょっと盛ってるかな!? あっという間に追い抜かれてました

車で帰る時に震災遺構 中浜小学校によった。建物の壁はなくなり、むき出しの鉄骨に流れてきた鉄骨が巻き付いていた。津波の力、恐ろしさを改めて感じた。

また、福島の帰宅困難区域を通った。建物のガラスは割れ、学校の校庭は草が生い茂っていた。メディアでよく「時が止まった~」という見出しと共に載っている写真を見るが、実物はそれと比べものにならないぐらい説得力があった。

初めて名取に行ったときはかさ上げ道路がつくり途中で、道もあまり整備されておらず、観光地も少なかったような気がする。しかし、今では様々な観光地や、多くのかさ上げ道路、飲食店などができていたので、復興の速さに驚いた。

2日目に宮城蔵王キツネ村に行った。入場料金1人1000円で少し高いと思っていたが、キツネが可愛すぎたので入場料金の元が取れたと思う。それに、流石、東北!料理が美味しい!

放し飼いのキツネが100匹、いやそれ以上。本当にかわいかった~

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テレビを置かないわが家、

帰宅困難区域、復興、震災遺構 と言われても、新聞などの静止画だけで見ているのと、実物を見るのは大きな違い。肌で感じとってくれたようですので、それだけで良しとします。

こんにちは
かなり久しぶりのブログです(^^;
3月28日から30日まで宮城に行ってきました。
いちばんの目的は、「北釜地区震災メモリアルゾーン完成披露記念式典」への出席でしたが、
年に1~2回しか宮城に行かない私にとっては、植栽地見学をして、頭の中の植栽地をアップデートすることも重要な目的。
見学をしたこの日は、この季節にしてはとー---っても寒く、気温8度、冷たい風。
さくら満開の東京から向かったため、まさか真冬のダウンは持参せず、春先の恰好だったのも寒さを強く感じる原因。

寒すぎて、何かをゆっくり感じ取る余裕はなかったのですが、
少しだけ感じたことを・・・

閖上の植栽地に隣接して建つサイクルスポーツセンターの屋上から、植栽地を一望。
区画によって成長がいい悪いがはっきりしているなぁ
寒すぎて、植栽地についての感想は以上(-_-;)
何より、この寒い中、自転車を楽しむ親子が10組ほど、スケートボード場にも15人ほどの若者の姿、フットサルコートも同じくらいの人がそれぞれ楽しんでいました。
クロマツ林が将来にわたって受け継がれていくためには、
浜辺の賑わいを取り戻すこと、関心を持ってもらうことがとても大事と、
プロジェクトでも繰り返し伝えています。
スポーツを楽しんでいる人たちには、クロマツなど目に入っていないかもしれません。
でも、浜辺に集っているということだけでも嬉しく思いました。

手前はおもしろ自転車ひろば、奥がスケートボード上、いちばん奥がフットサルコート。残念ながら、写真からは寒さは伝わってきませんね(-“-)

2019年に、子どもたち、ico.さん、大槻さんと一緒に植えたクロマツが、元気に成長していました(^^♪
この苗木、2017年に種をまき、東京の事務所の一画で育てたもの。
植えた場所はいちばん内陸側で、200メートルの幅に植えられたクロマツに守られている場所なので、好条件とはいえ、元気に育っていることに安心しました。

2019年4月にイラストレーターのico.さんと一緒に、東京本部の敷地内で育てた苗木を植えました 
3年たって50cmほどに成長していました(2022年3月29日)

そして、2014年に家族で溝切り作業をした場所は、こんなに大きく成長していました。
子どもたちも大きくなりましたが、クロマツはそれ以上。
2014年の頃は、まだ溝切り作業は試験的だったので、子どもたちは泥んこ遊びの延長、私は思うがままに掘っていました。
小雨の中、しんどかったなぁという思い出です。
そんな作業でも、やるとやらないとでは大きな違い。
立派に成長していて、これまた安心しました。

2014年8月 溝切りというより泥んこ遊び
2022年3月 泥んこ遊びをしていた場所のクロマツも子ども達もこんなに大きくなりました

本数調整伐を実施した場所を少し見学しました。
切り株を見るに、15センチはあるだろうな・・・ちょっともったいないなぁという気持ち半分、いやいや、自ら犠牲になって他の木の成長を促す。これは美しい利他の精神の物語ではないか!と妄想。
地面すれすれに伐られていて、ぱっと見では切り株の場所がわからないほど。
1列伐り、2列残すという機械的な作業で、伐ったところは作業道となるため、後の作業の邪魔にならないようにとの配慮ですが、仕事とはいえ、作業をした森林組合の方の細やかな配慮がうかがえました。
それにしても、本当に伐っちゃったんだなぁ というのが一番の印象。
残ったクロマツたちが、伐られたクロマツの分まで大きく育ちますように!

 

 吉田です。

 仙台空港の真東の海に至る道沿いは、きれいに整地されました。ここに「北釜」という集落があったとはとても思えません。一部はJR系の建設会社の研修施設になると聞いていますし、仙台空港の24時間化を見据え、ホテル建設の話もあるようです。

 「北釜」は500年前に遡る歴史があり、ながく、ワタリガニ漁や「釜」の文字が示す通りの塩田で生計を立てていたそうです。東日本大震災当時は約400名、100世帯が住み、うち3分の2の人は海岸林に沿った農地の1,000棟のビニールハウス群などで、小松菜、チンゲンサイなど軟弱野菜を中心とする農業生産に従事し、年商2.5億円を生み出す一大農地を形成していました。しかし、チンゲンサイは仙台市場の8割シェアだったものの、震災で市場を奪われ、いまは小松菜中心と聞いています。

 オイスカ会員や支援者にとっては、ここに名取市海岸林再生の会の鈴木英二会長の旧宅があったことをご存じだと思います。その鈴木会長は、北釜の人の営みを永遠に伝承する場を求め、2021年に元住民の方たちと「ふるさと北釜を残す会」を立ち上げ、名取市と協議を重ねてきました。集落の北西端に北釜防災公園ができ、週末には駐車場が満車になるほど子供連れでにぎわうようになりました。大きな遊具の位置には、再生の会の櫻井勝征さんのご自宅がありました。そして、この公園と隣り合う下増田神社内の消防団3名の慰霊碑を結ぶ遊歩道と、集落の歴史と四季の様子などが記された説明看板の設置が決まり、市と鈴木会長をはじめとする皆様のご配慮で、海岸林再生の説明看板も加えていただくことになりました。

 この話をいただいたとき、正直なところ、とても驚き、嬉しく思いました。ここを訪れた方たちに、「なぜ海岸林が必要なのか」知っていただくという、非常に重要な啓発普及の機会を得たのですから。看板の説明は、迷わず名取市閖上出身のイラストレーターicoさんの絵を中心に据えました。

 そして3月30日、市と残す会主催の完成披露記念式典にオイスカは来賓としてご招待いただき、中野理事長の代理で鈴木和代さんとともに出席しました。市にicoさんの招待もお願いし、快諾いただきました。出席者は市長、議長を始め約70名。報道各社がこぞって取材に来ていました。書籍「松がつなぐあした」にも登場する90歳の女性や、再生の会の方たちなどよく知った方たち、海岸林ボランティアの方も数名。式典は2部構成で、第1部は下増田神社の神式で祭典が行われ、ここで亡くなられた54名の方たちに黙祷を捧げ、第2部は看板8枚などの除幕式、記念植樹、市長や議長、守る会の鈴木会長のご挨拶があり、それぞれ皆さんから海岸林再生やオイスカについても触れてくださりました。

 今年は、企業・労組などのボランティア来訪も増える気配ですが、出来るだけこの場所にお連れしたいと思います。

FNN

 

 

 吉田です。「東日本大震災よりも揺れた」と福島の人が言うほどの、3月16日夜半の揺れ。翌17日、20日は、東京-名取を東京の大学生たちと車で往復。福島の最北東、新地町では、道はデコボコ、真っ二つになった道路まであり、多くの家々の屋根瓦が破損。自衛隊が給水作業をしていました。30日には再度往復し、相馬市を通りましたが、民宿や旅館は営業停止、松川浦の絶景道路は通行止め、入江沿いの集落前の堤防は海に崩れ、歩道橋の崩落までありました。2011年3月、2021年2月に続く3度目の大きな被災に、言葉を失った次第です。

 2022年公募ボランティア初日には、宮城、山形、東京、千葉、神奈川の大学生で賑わいました。開幕戦から幸先がいい。前日、広島県支部の事務局長さんとオイスカ顧問の畝川さん(中国電力)と若い従業員さんら4人と、東京本部元インターンの女子大学生、大槻さんも合流。大学生たちは、「雨でも力仕事したい」と言うので排水口2つを託したら、大槻さんの指導もあって半日で完成。雨でひどく寒いのによく頑張ってくれました。夜はジンギスカンを堪能。

 この日は、大阪のUSJ従業員さん5人、IBEXエアラインズの5人、それに中国電力、海岸林リピーターズ、大学生たち35名。本数調整伐実施後の見学を織り交ぜながらも、なんだかんだと終日、いつもの「溝切り」を。2018年に植栽した3.81haの大きな多湿地帯を手掛け始めて3年。まだ終わりが見えたとは言えませんが、よくもここまで進んだなあと。この日は35人で、0.3ha、1,500本が直接的に改善されたと思います。気づけば、排水口が6つも増えました。

 SOMPO環境財団支援の学生インターン3名が(オイスカ本部2人、名取1人)、「8ヵ月間の総まとめオンライン報告会を現場からLIVE配信したい」と言ってくれたので、学生の参加者は、昼過ぎから1時間は現場に出ず、聴講してもらいました。宮城、東京と離れていて、オンラインでしか会ったことのない者同士が進んで企画をしてくれたこと、初めてのボランティアで出会った学生たちが、ここで縁が出来て再会を誓っていること、突っ走って、大人にブレーキかけられるイキの良さも含め、若い衆だけでなく、みんなにいろいろな刺激があったと思います。4ヵ月ぶりのボランティアとの実戦は、われわれも感覚が戻ってなく、反省点もありましたが、いい開幕戦ではあったと思います。

 cf. 東京本部で書き終えた途端、また揺れました・・・

 

吉田俊通の甥の吉田寛人です。今回はボランティア活動に初めて挑戦させて頂きました。貴重な体験ができたこと、たくさんの人に支えてくださったこと感謝します。

 叔父の仕事はなんとなく知っていましたが、実際に現場に行き、話を聞くことでオイスカの活動、叔父の仕事がとても素晴らしいことだと理解できました。17日にオイスカの現場ではない福島県の海岸林を見て、18日にはオイスカの海岸林を見ることで、オイスカがどれほどクロマツや現地の環境を勉強して最善を尽くしているかがわかりました。また、大槻さんなどオイスカの活動を外から支えてる人の話を聞いて、オイスカと叔父が周りの人からも尊敬されていることがわかりました。

 18日は主につるはしを使い排水口を作る作業でした。最初は大きな石がゴロゴロしていて掘りにくかったですが、大槻さんの教えもあり予定以上の成果を出せたと思います。コツを掴むと寒さを忘れるぐらい早く仕事を進めることができました。

 19日も溝切り、排水口を作りました。天気がよくて気持ちよく仕事ができました。午後は豊田さん、小宮さん、畑さんの「インターン成果発表オンライン報告会」を聞き、同世代の方から刺激を貰うことができました。

 僕個人としては普段からダラケた生活をしていて、同じような空間で同じような友達と過ごすことしかせず、刺激のない日常を送っていました。正月に叔父から今回の話を聞き、なにかチャレンジしないといけないと思って、ボランティアに参加すると決めました。初めてのことが多くとても緊張していましたが、みなさんの優しさもあり、すぐに慣れることができました。

 今回のボランティアでは多くの人と接することができました。特に年の離れた方々とはこのような機会がないと絶対に関わることができなかったですし、自分の何倍も生きている方のお話を聞くことができたのはとても貴重な体験になったと思っています。

 、また、同年代の先輩方にもお世話になりました。同年代の意識の高さを感じることができて、先輩としてリードしてくれる優しさにも触れることができました。ボランティア活動中に率先して動く先輩方を見て僕もこうならなきゃいけないと感じました。18日に19歳になった僕を祝ってくださったり、最後にはまたボランティアに来て会おうと約束できたことをとても嬉しく思います。コロナもあり人と関わる機会が少なく、周りの人から刺激を受けることもなかった僕が今回のボランティアを通じて得ることができた物はとても大きな物だと確信しています。ただ、これだけで満足せず、この経験を次に活かしていこうと思います。貴重な体験をさせていただき本当にありがとうございました

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