11月8日に香川県高松市のホテル パールガーデンで「第29回オイスカ四国のつどい」を開催しました。前半の部では、賛助会員様をはじめ、香川県や近隣県にお住まいの方々など約180人にご参加いただき、盛大に行われました。
今年の四国のつどいは、同日に開催された第4回オイスカ支援連携サミットとの共催で、1990年から30年以上にわたりオイスカ海外研修生を受け入れてくださっている香川県の株式会社竹内農場の代表取締役 竹内一之様と四国研修センターの研修指導員でマレーシア出身のガディの2名から事例発表会が行われ、ご参加いただいた方からは、「オイスカが取り組んでいる技能実習に対する理解が深まった」、「オイスカの現場で活躍する研修生OGの想いに感動した」などのコメントをいただき、オイスカの国際協力活動を多くの方に知っていただける機会となりました。
(竹内農場の代表取締役 竹内一之様のレポートはこちら)
四国研修センターの研修指導員でマレーシア出身のガディのプレゼンテーションの内容を報告します。
マレーシア出身の四国研修センター指導員のガディです。
始まる前にお願いがあります。とても緊張していますので、どこかで日本語を間違ってしまったらご理解の方お願いします。
ここにマレーシアの地図があります。マレーシアはマレー半島とボルネオ島に分かれていて、オイスカがあるのはボルネオ島のサバ州です。
サバ州の中の丸い目印がテノムという町です。ここにKPDオイスカ研修センターがあります。
ボルネオ島ではコタキナバルがいちばん大きな町です。そこからテノムまで4時間かかります。
研修センターの名前は「KPDオイスカ青年研修センター」ですが、どうしてKPDとついているのかを簡単に説明します。
KPDは KORPORASI(組合)PEMBANGUNAN(開発)DESA(農村)の頭文字です。
このKPDは農村開発共同組合という意味で、日本のJA(農業協同組合)と同じ役割をしています。
1977年にKPDとオイスカが契約を結び、KPDが研修プログラムを作り、研修ができる場所と予算を準備します。その研修の実施はKPDでなく、オイスカの役割になります。
サバ州のKPDオイスカ研修センターは、日本の研修センターと同じように研修しています。今のKPDオイスカ研修センターは17人のスタッフがいて、四国研修センターのOB・OGが6人います。
KPD組織全体では、いろいろなプロジェクトがあり、生産物の販売もしています。スライドにあるヨーグルトとアイスクリームはヤギのミルクから作った製品です。ハチミツは現地ではとても有名なハチミツです。オイスカの研修はKPDのひとつのプロジェクトとしてやっています。
今までKPDオイスカ研修センターを卒業した人は1858人います。その中の280人が日本で研修した人たちです。さらにその中に四国研修センターのOB・OGは69人います。四国研修センターOB・OGのうちのひとりがノルハニ先生で、私の先生です。ノルハニ先生は2001年に女性生活改善コース(JICAの委託研修)の研修生でした。帰国後にKPDで食品加工を担当していました。ノルハニ先生は若い頃から食品加工を学んでいて、日本で研修したノウハウもあわせて、自分で考えたレシピを研修生に教えています。ビジネスとしてお菓子の販売や、村の人にもお菓子づくりを教えることもしています。
<ノルハニ先生からのメッセージ>
皆さんこんにちは
マレーシアのノルです。サバの研修センターで食品加工を教えています。
私は2001年にオイスカ四国研修センターで勉強しました。本当にいろいろな事がよかったです。先生たちもとても優しく、本当にチャンスがあったらまた四国研修センターに行きたいです。
先生たち、皆さん、また会いましょう!
次に紹介する四国研修センターのOBはフェニングさんです。彼は昔の研修生ですが、農業研修を受けました。帰国後はしばらくKPDで働き、その後は自分の会社を設立し、農業用の堆肥を作っています。今も彼が作った堆肥をいろいろなお店で販売しています。
次は、私がスタッフになってからの研修生です。皆さん知っている顔はありますか?
一番左の写真はグレンダさん、その右はアリンさん、オードリーさん、イカさんと最近研修した研修生オディンさん、ベッツイさんです。5人はKPDでそれぞれのプロジェクトで働いていますが、ベッツィさんは自分の村に帰って、教会のレストランで働きながら教会の活動をサポートしています。
ここからは、私とオイスカについて話します。
私が初めてKPDオイスカに入ったのは2009年です。
今日は、今までの私のストーリーを皆さんにシェアしたいと思います。学校を卒業した後、「農業はビジネスです」という政府のスローガンを見ました。
私も家族と一緒に小さい時から農業をしていたので、農業がビジネスと関係があることはわかります。でも、学校を卒業したばかりの私はそれほどの知識がないので、もっと農業を勉強したいと思いました。農業と関係のある食品加工と畜産にも興味があり、勉強できるところはないかと探しました。その時に出会ったのがKPDオイスカの研修です。それで2009年にKPDオイスカ研修センターの研修生になりました。1年間の研修で野菜栽培、稲作、食品加工、キノコ栽培、畜産の勉強をしました。
卒業後、KPDオイスカから日本で勉強するチャンスをもらいました。私は農業を小さい頃からやっていましたし、もっと違う勉強をしたいと思い、家政研修生を選びました。1年目は先輩、先生方から教えてもらい、2年目には、先輩研修生として新しい研修生を指導するという勉強もしました。
上の写真は、魚の捌き方を研修生に教えています。下はお菓子作りを教えています。1年目に勉強したお菓子づくりを研修生に教えています。家政研修では日本の漬物もいろいろ勉強しました。
研修修了後、もっと食品加工を勉強したいと思っていたところ、食品加工の短期コースがKPDに新しくでき、KPDオイスカ研修センターにあります。バナナチップの作り方をメインで勉強しました。
短期研修の後、次はどんな仕事をしたいですか? とKPDの先生から聞かれ、私は日本語が得意で、日本でも勉強したことがありますと答えました。先生から日本語を活かせる仕事なら日本語のガイドはどうですか?という提案をいただき、先生が紹介した会社がJTBでした。6ヵ月間と短期間の日本語ガイドの仕事でしたが、サバ州の特に私が生まれた場所の何が面白く、どんな歴史があるのかを知ることができました。
日本語ガイドをしている間、四国研修センターから「日本で働きませんか?オイスカの職員として働きませんか?」とのメールをもらい、とても嬉しかったです。以前は、日本や海外で働くことは想像もしていませんでしたが、働ける嬉しさと家政研修生として2年間勉強したことを活かせる仕事がどこにあるかと考えた時に、いちばん身近にあったのはこの時のチャンスでした。だからJTBで6ヵ月間働き、日本に来ることにしました。
四国研修センターでの仕事は、私が勉強した食品加工が1番目の仕事ですが、他にも任された仕事がたくさんあります。写真の通り、私が研修生に豆腐の作り方を教えています。その下にインドネシアの女性グループが来た時に通訳の仕事もしました。4年間日本で働きましたが、あっという間でした。
またマレーシアに戻り、その時にKPDオイスカの先生が、日本での経験を活かして、次はKPDオイスカで働きませんか?と連絡があり、2018年からKPDオイスカで働くことにしました。その時の仕事は日本とあまり変わらないですが、主な仕事は日本語指導などです。スタッフの中で私がいちばん長く日本に滞在した人でしたので、日本語指導をお願いされました。それから日本人の来客の案内もしました。
現地のKPDオイスカでの仕事もとても勉強になりましたが、四国研修センターでの家政研修生としての2年間の経験と職員としての4年間の思い出や経験が自分にとってはとても良かったので、また日本で働きたいという気持ちになりました。かつての知人がいることや四国研修センターで仕事をした経験が役に立つと思い、また日本に戻ることにしました。
私たち外国籍の職員には研修生の経験があり、今の業務は、それがとても役に立っています。研修生の時から知っている職員と一緒に仕事をするので、安心して仕事ができ、自信も持てます。これはオイスカのことを理解して、私たちのことを応援してくれる会員さんや地元の方のおかげだと思います。
実は外国籍のスタッフは私だけではなくてほかの国内研修センターにもいます。四国研修センターは私をいれて3人。中部日本研修センターは4人、西日本研修センターも4人います。本部にも1人います。私たちは研修生に教えながら自分も勉強を続けています。
私がオイスカで働く理由は、「環境を守り、人を育てるオイスカの活動や考え方がとても好きだから」です。
今も研修生と一緒に楽しく毎日活動しています。オイスカの活動ができるのは、皆さんからの支援があるからだと私は思います。これからもご支援よろしくお願いします。以上で私の発表を終わります。ありがとうございます。
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