ヌエバビスカヤ植林プロジェクト
- 場所
- ルソン島ヌエバビスカヤ州
- 活動開始年
- 1993年8月
- 受入機関
- フィリピン政府・環境天然資源省、OTTAA(OISCA Technical Trainee Alumni Association)
ふるさとの緑を取り戻す!
訪日研修生OBが立ち上がりプロジェクトがスタート
第二次世界大戦以前には、ヌエバビスカヤ州は、鬱蒼と茂る熱帯雨林地帯でした。しかし戦後、開発のために行われた木材伐採や地域住民たちによる牛の放牧、また、頻発化する山火事や病害虫などにより森林破壊が深刻化。森林が無くなったことにより、水源が枯れ果て、特にプロジェクトサイトのある村は、水が無い地域という意味のキランという名前がつけられるほどになってしまいました。
このような荒廃した山々の惨状を憂い、地域に住むオイスカの訪日研修生OBたちが立ち上がり、自分たちの森を再生する試みを開始。その取り組みに対し、日本のオイスカ会員の有志(北九州ふれあいの翼グループ)が支援を決定し、1993年から本格的な植林事業がスタートしました。しかしその前には、幾多の障害が立ちはだかります。当時、すでに熱帯林地域でも有数のはげ山地帯となっていた中部ルソン地域での山間地の本格的な緑化には、多くの障害がありました。
はげ山を多様性あふれるオアシスに
苦難と闘い森を守る
1993年にプロジェクトがスタートしてから既に30年近くが経過し、現在プロジェクト地は多様な植物が茂り、砂漠のオアシスのような場所となっています。しかし、それまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。スタート当初、さまざまなタイプの木々を植栽したものの、長年ハゲ山であったため土地はやせており、十分に成長できない樹種もありました。さらにこの辺りは台風の通過地点でもあります。毎年襲来する台風に成長の悪い木々はなぎ倒され、多くが枯死。残ったのは荒れ地でも生育可能な早成樹というタイプの木々のみでした。それでもそうした木々らが成長し、落葉が少しずつ土壌を豊かにしていきました。
こうした積み重ねを経て、2012年から、当初の願いである多様な樹種が育つ森への再挑戦が始まりました。土壌がやせていたころは生育の難しかった在来の固有種などの植栽を毎年少しずつ進め、年々生物多様性が高まっています。また、プロジェクトの開始前は、山麓の農家は水不足のため年1回しか稲作ができずにいましたが、今では乾季も川に十分な水が流れるようになり、年3回の稲作も可能になりました。
一方、現在においても、困難な課題もあります。それは周囲のハゲ山で起きた火災が植林地にまで延びて森の一部が焼けることです。自然発火、不用意なタバコの投げ捨てなど、原因はいくつもあります。乾季の風が強い日などは、かなり離れた地域からの火も延焼してくるため、防ぐのは容易ではありません。対策として、幅7~15m総延長12kmにも及ぶ防火帯を設置していますが、その防火滞を飛び越えて延焼することもあります。ひとたび火災が起きるとスタッフが総出で消火作業にあたり、時には徹夜での作業となることもあります。火の勢いは恐ろしく、スタッフは毎回命がけで戦いますが、幸いこれまで植林地全体が焼けるようなことはなく、何とか森の緑を守ることができています。こうした努力により、現在も約600haの森を維持管理しています。
近況・今後の方針
2022年でプロジェクトは30周年を迎えます。防護柵や防火帯の設置、地元住民の理解と参加を得て、目標としていた多様性あふれる豊かな森となりつつあります。
2019年に、この森の生物多様性調査を実施したところ、鳥類、両生類、爬虫類、植物など絶滅危惧種や固有種など33種を含む、在来種87種が確認され、自然が回復傾向にあることが分かりました。しかし、依然として森林火災は毎年周辺で発生しており、乾季にはパトロールを行い、火災発生時には延焼を防ぐための命がけの消火作業を続けています。
2021年現在、「異常気象に負けない森づくり」をテーマに、6年間コスモ石油エコカード基金の助成をいただく一方、労働組合の電力総連からは資金支援だけでなく、1995年より毎年ボランティアの派遣などのご協力をいただいています。しかし新型コロナウイルスのパンデミック以降、こうしたボランティアの参加がかなわず、また、フィリピン各地からの子どもたちの訪問も叶わなくなりました。コロナ禍が治まり、早く多くの人たちが集う森に戻ってくれることを願っています。