インターンを終えての感想  筑波大学 秋山キナ

2012年12月8日

ハイエースに乗って初めて名取に来たのが昨年9月だった。最初の宮城出張で、村田町の苗園で聞いた太田全国種苗組合長の話は、育苗の難しい用語と宮城の方言とで理解できなかったこと懐かしく思い出す。今思えば、当時は佐々木廣一さんの方言も私の耳にはすんなり入ってこなかった。いつのまにか方言にも慣れ、それが名取で生活した期間を感じさせる。
1年前に「10年間10億円のプロジェクト」と聞き、数字が大きすぎてイメージできなかったが、プロジェクト1年目が順調に進行する現在は、10年を長いとは感じない。3月の種まき、翌月の発芽、それから10月になって倒れた海岸林が片付けられ盛土工事がはじまったのを目にした時、プロジェクトが確実に前に動いていることを感じた。1年目が動き出すとその先9年も予測がつくようになるのだと思う。もちろん今後も対処すべき課題は多くあるのだろうと思う。
10ヵ月の経験は3つに分けられる。オイスカでのインターンシップという体験、名取の農家と交流するという体験、被災地で生活するという体験。3つのことを同時に体験できる、私にとってはとても有難い時間だった。インターンシップとしての活動は主に、プロジェクト現場の立ち上げだった。それはスーパーハウスを設置したり、事務机や棚を置いたり、防風ネットを立てたり文字通りに「立ち上げ」たものもあった。賃金の支払や経理のやり方は自分の知識がゼロからはじまり、現場の佐々木廣一さんに少しずつ教えてもらいながらやっとひとりで進められるようになった。1年目で経験がなく、何もかも初めての現場は様々なところから来る情報を整理して判断するしかなく、何か問題に突き当たってはその都度その都度、解決策を探していた。林野庁での長年の現場経験で培われた佐々木さんの判断力には驚いた。日々変わる状況にも動じずどっしり構えられる度胸があり、それでいて人の意見を聴き受け入れる柔軟性もある。
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現場で聞く話は育苗の技術的な話が多く、はじめは私の理解できない部分も多かった。加えて、大学での専攻とも関係ない分野なので基礎知識が全く足りないので苦労したこともあった。初めて宮城に来た時も、分からない用語が多く話されるので、こんなところでインターンができるかという戸惑いもあった。しかし、現場で実際の育苗作業をしたいということ、地元の人々と交流したいということで現場でのインターンを選んだ。現場視察に来た企業の人などは、私の大学での専攻が現場とは関係がないことを知って笑っていたが全くその通りだ。大学での専攻に関係したインターン選ぶことが普通かもしれないが、今まで自分と縁がなかった分野を学べる機会もなかなかないので、自分は楽しみながらできた。現場には多くの企業が視察に来た。宮城中央森林組合や市役所、前田建設、全日空は特に関わりがありその会社を知るきっかけにもなり、その会社で働いている人を実際に見ることができたので就職活動を控える私には参考になる部分があった。
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インターンを終えて最も印象に残ったことは法律や利害関係に縛られた社会の一面である。日本にはかなり細かい部分まで法律が行き渡っていることを知った。団体を設立するのも、電話をひくことも、人を雇うことも簡単ではないことを知った。現場ではお金とか土地が絡んだ話をよく聞いた。大きなお金が動き、土地の問題が生まれやすい震災後という特殊の時期だったこともあるだろう。たくさんの大人と出会う中で学んだことがある。以前は、人は信用すべきものだし、信用するほうがよいとなんとなく思っていたが、どんな人も必ず利害が絡んだ黒い部分を持っているから、人は基本的に信用する必要はなく、最初は疑ってかかるくらいでよいと思うようになった。別に、社会に幻滅したとかいう訳ではなく、多くの大人と彼らの仕事を見て、それだから社会は面白いのだろうとなんとなく思った。決してクリーンとは言えない人間だからこそ、多くの人・団体を巻き込むこのようなプロジェクトでは相互の信頼構築が必要だ。現場にいてその難しさを感じた。名取第二中でのオイスカと名取の住民とのファーストコンタクトはなおさら簡単なことではなかったと想像できる。被災後に外からやってきた見知らぬ団体を信用してもらうのはもちろん容易ではない。最後は「人」であると思う。説得できるだけの知識があるか、お酒を一緒に飲んで楽しいか、熱意が感じられるか、普段の姿から滲み出る人柄など。オイスカも名取の住民も人間的にクセのある魅力のある人たちだからこそ、プロジェクトがこれまでに進んできた気がする。どの人も自分の信念だとか軸を持っていて私の目にカッコよく映った。自分もそういう、何かしらの犠牲を払ってでも譲れない部分とか信念を持てるようにこれから頑張りたい。それは短期間で見つかるものではなく時間はかかるだろう。自分の夢や理想を語れて、こいつと仕事をしてみたいと思ってもらえる大人になろうと思う。
大きいプロジェクトが動いていく様子を近い場所から見ることができて勉強になった。周りを上手に取り込んで、それぞれの人間・組織の特徴が生かせるように上手に使う。これまで会ったプロジェクトに関わる人たちは皆、エネルギーに溢れる人ばかりだった。そのエネルギーが同じ方向を向いて巨大なパワーとなり、プロジェクトを動いていく様子を間近で感じることができて、貴重な経験だった。9ヵ月しか現場にいないのでどれだけの仕事をさせてもらえるのか不安もあったが、経理など大切な仕事も任せてもらえたので緊張感を持って取り組むことができた。
海岸林再生プロジェクトは軌道に乗り、海岸林が再生された姿も想像できるようになってきた。しかし、私一個人の思いであるが、海岸林が再生されても海岸林と共に歩んできた北釜という町が決してもとに戻らないことに寂しさを感じる。北釜の農地ですら元に戻るかわからない。農家の後継難で農業人口が減少しており、たとえ北釜の農地が整備されても誰も使わないかもしれない。海岸林が再生されても震災前の北釜地区は戻ってこないことに、震災前を知らない私はどうしようもない虚しさを感じる。しかし、防災インフラとしても市民の憩いの場としても、海岸林は絶対に必要なのだ。住民には今だ海に対して恐怖を抱き、海のほうに行きたくないという人がいる中で、青々とした海岸林が海への恐れを和らげ、海岸がもう一度親しみのある愛される場所になってくれるといい。
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~お礼~
まずこのインターン期間を大きなトラブルなく無事に終えられたことに感謝します。それも多くの人の支えがあったからです。多くの素晴らしい大人と出会うことができました。吉田さんをはじめとするオイスカ本部の皆様、佐々木廣一さん、名取市と再生の会の皆様、現場にいらっしゃった支援者の皆様、インターン期間でお世話になったすべての人に御礼申し上げます。この1年は普通ではない体験ができ自分が大きく成長できたように思えます。振り返ると楽しく濃い10ヵ月でしたが、自分自身には満足していません。これからも努力して、皆様に成長した姿を見せられるように頑張っていきます。
関連ブログ ありがとうございました!(2012年12月21日)

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