インタビュー
「働く背中を見せれば、わかってくれるさ」 高梨 仁氏 専業農家としてチンゲン菜、小松菜を育てている。 櫻井重夫氏、森清氏とともに北釜耕人会(※)を立ち上げ、再生の会、発足のために同級生である大友英雄氏とともに地元の多くの方に協力を呼びかけた。 |
「農家としての技術を活かして、 松苗作りに挑みたい!!」 森 清氏 専業農家としてチンゲン菜、小松菜を育てている傍ら、育苗作業を行う。農業技術を応用して苗を育てている。そのため常に苗の様子を写真で撮ったり、記録したりしながら一番良い、育苗法を研究している。 |
— どうして海岸にクロマツを植えようと思ったのですか?プロジェクトを始めるときのお気持ちは?
あって当たり前だと思っていたマツが無くなり、農地が使えないという状況に打ちひしがれた。ご先祖様の時代から海岸林という恩恵を預かってきたから、なんとか再生しないといけないという気持ちがあった。(高梨氏)
この地域では「やませ」という北東からの冷たい風が稲の苗にも大きな影響を及ぼす。海岸林がその風を弱める効果があったが、それが無くなり、稲作にも被害が出るため海岸林は必要である。(森氏)
— 震災時の状況とその時のお気持ちは?
当時は空港に逃げて、1000人以上の被災者らと笹かまぼこなどをみんなで分けて食べていた。当時はただ寝て、食事の時間には列をなす生活で何もできなくて無念だった。自分自身がダメになりそうになった。その中でも農業をやろうと考えていたが農業に対する国からの支援は厳しい状況だった。いつも高梨氏と励まし合って、なんとかしようと考えていた(森氏)
— 子どもの頃、マツとどう接してきたか?マツの歴史は?
小学生の時に松葉拾いをしていた。ダルマストーブの焚き付けする際にマツの枝葉が必要だった。昔はマツの枝葉は燃料のために東京にも売っていた。松林は大事な財産であり、松葉もむやみやたらと取ってはいけないため土地の区画もしっかりしていた。先祖代々、マツはいろんな形で守られてきた。これからも子や孫のために自分たちがやらないといけないと思っている。(高梨氏)
— どのような農作物は作っているのか?震災の影響は?
チンゲン菜、小松菜などの軟弱野菜が主。震災後は収入が0になったが現在は四分の一まで回復した。当時、政府よる農業への支援が遅く、支援条件も労働者3名以上で8haの農地が必要という厳しい内容だった。津波により自らの農場を失っている状況で8haの農地確保はキツかった。さらに、開墾していく農業機械もなかった。しかし、後ろを見てもしょうがない、前をみるしかないと思って、6万円の軽トラックを買い、ギリギリのラインで農業を耕人会3人でやってきた。(高梨氏、森氏)
— 育苗作業の大変さと作業への思いは?
意外と野菜の苗を育てることとマツの苗を育てることは同じと感じている。今までの野菜栽培の経験を活かして、土の配合を変えるなどして工夫している。常に育成法の記録と写真を残して、試行錯誤中だ。(森氏)
自分自身生まれて初めての作業でもあるし、先祖代々、育苗からクロマツを育てることはしてこなかったので前例のない作業への挑戦だと思っている。育苗の段階で苗が枯れるとがっかりだが、失敗を繰り返して、良いものができるため試行錯誤である。(高梨氏)
— 外部ボランティアに期待することは?
大規模な植林のために人手が必要だ。特にクロマツを知っている、地元の年配の方の参加にも期待している。自分たちが頑張っている姿を見て、北釜地区の人も少しずつ、参加してきた。TPPを背景にこれから農業も更に大規模になる中で、海岸林が無くては潮風などに農作物がやられてしまうことを訴えていきたい。(森氏)
— 海岸林再生プロジェクトを成功させるためのカギは?
より多くの協力者が必要。植林の段階になれば草取り、間伐などで人手が必要である。
苗作りに関してはチンゲン菜の栽培と同じで立派なマツにするために間引きが必要である。床替えの前に間引いて強い苗だけを残す。そのためにマツの種子はいっぱい播いて、競争させて強い苗を作る方法が一番だと感じている。人間もマツも同じで競争させることで強いものができる。マツの種子は貴重だが、強いものを作るためには捨てる勢いで種まきをする。ライバルがいなきゃだめである。最初は密植して、草を抑えつつ、マツを間引きしていく。太い幹で強いクロマツを作るために植林後も間伐が必要だ。(高梨氏)
— 若い世代への期待は?
若い人に早急に引継ぐ必要はなく、なんでも時代の中での順繰りである。自分たちの世代が頑張っているところを見せることにより、若い人は動くと信じている。「背中を見せる」。(高梨氏)
なぜ、松林が必要なのかということを伝えつつ、小学生や中学生と体験植樹を通して次世代へ伝えていきたい。(森氏)
— 復興が進む中でどのようなまちづくりになってほしいですか?
農業再建を望むが用水整備が整っていない。塩分が抜ききれないため、農業ができない。塩分が抜き切れるまで何年かかるかもわからない。(森氏)
脱サラをして農業を始めようとしても、農業はそんなに甘くない。後継者不足や農業従事者の高齢化を考えると空港を利用した税収のためのテーマパーク、カジノができても良い。そのことに関して議員が声高く言えないため下からの盛り上がりを待っている。だからこそ、仙台空港も民営化してもらいたい。(高梨氏)
※ 北釜耕人会とは?
北釜地区の農家を中心に組織された会。震災前は北釜出荷組合という名称であった。農業も北釜で行っていたが、津波の被害で農地を別の場所に移し、新しい気持ちで北釜耕人会と名称を変え、再生の会に加わっている。主に第二育苗場で育苗作業を行っている。
インタビュー日:2013年5月31日
聞き手:公益財団法人オイスカ 国際協力ボランティア 木村肇